ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命力:人間の標準の中で生きるということ


私が人間らしく生きるためには
魚を生け捕りにして
それを殺して食べることを正当化しなければならない


だが
この正当化は
義務ではないし
真理でもないだろう


それに
命を奪うという普遍的罪悪、、、でもないだろう


しかし
この生け捕りと殺害することを
ごく当たり前に受け入れ
「新鮮な魚はうまい」と
賞賛しあうのが
標準的な人間だ


人間であることの標準


標準的な人間の考え方


様々な人間の標準を
自然に身に着けながら
人間は成長する


このような標準を身に着けずにいると
「あれは人間の姿をしているけれど
 人間ではない。
 鬼だ。
 人間の姿をした鬼だ」
などと揶揄されてしまう羽目にもなりかねない


人間の標準を受け入れる素養をもって生まれ
その素養を生かし人間を身に着けることは
人間社会の中の幸運だ


このように生きるための素養持ち合わせることが
生きる力になっている


時に
人間の姿をした鬼になりそうな自分を抑制する忍耐力も
生命力だ


意識的にせよ
無意識にせよ
人間の標準に
私を
日々押し込め続け
それが正義だと
自分で自分に言い聞かせているのだろう


それに窮屈さを感じたら
自由を求め
標準を変える努力をするのもまた
生命力だ


この努力により
人間の標準も少しづつ変遷してゆく


鬼のような国は
鬼を集め
鬼になり切れない者を追い出し
もっともっと鬼のような人間が
標準になってゆくということだ


今西進化論ではないけれど
このように
変わるべくして
変わることが変遷なのだろう


きっと
遺伝子プールには
標準を作る仕組みが内在している


その仕組みに振り回されながら
周囲の状況と強調しながら
自由を求め続けてゆくのだろう

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