ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:義務を埋め込む歴史の果てに


大局的にみると
絶滅する生物種があるのだから
生命に
必ずしも生きる義務はない


しかし
個々の生命は
「生きなければならない」という
義務が付与されている


だからなのだろう
捕らえられた蠅や蝶は
逃れようと必死にもがく


肉食獣は
獲物を求め
被食者は
捕食者の気配を察すると
必死で逃げる


様々な仕組みが組み立てられ
試され
生き抜く義務をうまく演出できた仕組みが
私の中にも息づいているようだ


生きるため
苦境を認識し
平穏を認識し
苦境を逃れ
平穏に向かうよう仕向けられている


私の中で
生きることの義務化が
うまく機能しているということらしい


こうして
大局的に
義務でないことが
義務として刻み込まれている


こうした義務の形成が
言葉の世界をも維持している


言語には恣意性がある


大局的に
その言葉の意味がそれである義務はないが
その言葉の意味がそれでなければ
言葉の世界は存在できないということだ


同じように
私は私であるために
私に義務をかけ続けている


その義務に疲れることがあっても
その義務から逃れられず
その義務に憑かれ続ける


悪霊に取り憑かれ
苦悩することがあれば
その悪霊も自分であろう


悪霊を追い払う儀式により
古い自分を追い払うのだ


義務など所詮は方便だ
捨ててしまえばそれまでなのだ


神様や悪魔や悪霊が
入れ替わり立ち代わり
私となり
私を義務化する


きっと妖怪やお化けも
私の化身に違いない


私の中で
「私ではない」と主張しながら
私自身が次々と
いろいろな魑魅魍魎たちに変わってゆく


まるで
天気の様だ


私の中には
完全に義務化されていない自然があり
ちょっとしたきっかけで
お天気が変わる様に
神様や悪魔や悪霊が
現れては消えるのだろう


今日は雨


陰鬱な雲が空を覆っている


お空にも
何か悲しいことがあったのだろう


その悲しいことに
恨み怒り
そして
荒れ狂うことがなく収まって
また
平穏に晴れてくれるとありがたい


自然も
義務化されない偶然に左右されながらも
同じような景色を描き続けてくれている

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