ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:学習は轡であり言葉は手綱である


学習は轡であり
轡をはめられると
言葉が手綱となり
人間は言葉に御されることになる


「その川の北側から退避して
 その川の南側へ行け」


柵はなくても
言葉が柵となる


言葉に従わない者には
檻や手綱が必要だ


言葉が通じない家畜には
檻や手綱が用意され
言葉が通じる人間には
言葉が用意されている


こうして
文明が開花した


轡をはめ合い
手綱を引き合い
文明が開花した


有益な言葉に反応しなければならない


法律や道徳に
轡をいじられ
一見拘束のない自由の中で身を御する
そして
言葉の手綱に反応しない輩を非難する


「その川の北側から退避して
 その川の南側へ行け」


言葉に御されぬ者は罪人だろうか?


鞭や飴や武力による学習が行われ
轡が作り続けられている


特定の言葉に権力を付与するように
轡が改良されしけているようだ


私の轡が
私の人格を翻弄している


あの人の轡が
あの人の人格を翻弄している


あの国の轡が
あの国の品格を翻弄している


あの宗教の轡が
あの宗教の品格を翻弄している


同じ規格の轡ばかりになれば
多様性は消失しよう


私は
私の轡が反応する声に従うのだろう


その声は有益とは限らない


それでも
その言葉に従いながら
私の轡の性能を学習してゆくしかないだろう


私の轡が
良い轡であれば
残存し
悪い轡であれば
淘汰されてゆくのだろう


そして進化する


私が進化するのではない
轡が進化してゆくのだ


私は進化しない
無力なのかもしれない


私の轡は
今、どんな言葉に反応するのだろう


神は心の中に居るのだろうか?
それとも
遠い空高くに居るのだろうか?


何処に向けて
祈りを捧げてゆくのだろうか?


祈りの言葉は
何処に居るのでもない
そして
何処に居ないのでもない
それでも
何かの轡が反応したりするのだろう


これからどうなるだろう


繰り返される宿恨の轡が消えゆくようにと
未来に向かい祈りを捧げる


私は無力なのかもしれない

×

非ログインユーザーとして返信する