ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:内臓と理性とが補い合う循環


理性が肝臓なら
本能は腎臓のようなものだろう


感覚は脾臓かもしれない


肝臓だけは生きられない
腎臓だけでも
脾臓だけでも
理性だけでも
本能だけでも
感覚だけでも生きられない


言葉が文章になる様に
不足を補い合っている


この補い合いの全体の中で
それぞれの目的が実践されている


補い合いの中でのみ成立している目的


だからなのだろう
補い合いからから外れると
目的を見失うことになる


肝臓も
腎臓も
何かを補おうと働いている


感覚も
本能も
何かを補おうと働いている


むろん
理性も何かを懸命に補っている


言葉も
何かを補ってくれている


うまく循環するために不足するものを
何かが補ってくれている


雨は水を
太陽は暖かさを補ってくれている


切っても切れない補い合いが切れると
何かが終わる


この終わりを遠ざけようと
補い合いの循環が
目的を形成し
刺激し合い
反応し合う


内臓が空腹を訴え
理性はそれに呼応する


死するべきか?
悪事を働いてでも生きるべきか?


死肉を食らう


食卓にて
理性的な作法で
死肉を食らう


補い合う一環の中で
殺戮が繰り返される


屠殺場で
理性と内臓が交わり合っている

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