ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:本能と純粋理性の友愛


痛みから解放され
自由になった理性は
痛みとは無縁の思想を説くこともできるだろう


しかし
痛みを前にして
その思想は何も慰めてはくれない


欲情から解放された純粋理性は
食事の喜びからも
飢えの苦しみからも
自由である


便秘の苦しみからも
排便の喜びからも
解放されている


そんな純粋理性でさえ
その病気の原因が何であるかを語り
その原因を除去する方法を語ることはでき
病気を治す意義する語ることはできるのだろう
しかし
痛みに苦しむ患者の純粋理性は
痛みのあまり脂汗を描いている自身の身体に
同情の念を抱くことからも
解放され自由になっているのだろうか


生きようとする本能を抑圧しながら
純粋理性が
戦場で闊歩して
人間性が持つやさしさを抑圧し
憎しみや残忍さを増強してる


純粋理性は
情欲から解放され取り出された
情欲を刺激する刺激物


トウガラシや
砂糖のような刺激物のように
純粋理性の良し悪しは
反応する感情や本能が決めている


本能が求める純粋理性が闊歩する


純粋理性が
都合の悪い正義を糾弾し
都合の良い正義を闊歩させながら
本能を満足させている


純粋理性と本能は
人間の中で
相互依存関係を結んでいるのだろう


きっと
人間の中で共進化してきたのだろう


不協和音を響かせながらも
調和を夢見ながら
葛藤を繰り返しているのだろう


下痢をしたせいなのだろう
お腹が痛い


「さあ どうしたものだ」


生きようとする力が
純粋理性を刺激しながら問いかける


純粋理性は
わからないながらも
何とか生きる力に返答しようと
「お腹が冷えた」
「食べ過ぎた」などと思いを巡らす

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