ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:痛いゆえに痛み在り


痛いゆえに痛み在り


痛みという存在は
どこから来るのか?
痛みとは何ものか?
痛みはどこへ行くのか?


「痛み」は生きているというのと同様に
「痛み」は状態としての存在である


「思う」というのも同様である


意識の状態に言葉があてがわれている


だから
「痛い」という状態にも
「思う」という状態にも
それに呼応する言葉があてがわれて来た


「雨」という状態がある


この状態には
空間と重力と水がないと存在できない


実際には
もっと多くの存在が関与して「雨」という状態が維持されている


これをひとくくりに「雨」の一言で処理しているところに
言葉の危うさがある


そして
言葉にひそむ深淵な世界が隠されることになっている


一言のなかに
多要素が含有されているのである


「我」と言っても
さまざまな「我」があり
一言では語り得ないのが実情である


それを「我」と言い
全てを語り伝えたつもりになるのも
言葉の世界で許容されている省略である


この省略において
言葉を用いた論理は破綻する


だから
言葉の真偽は
状態そのものの実践を介して試されることになる


「痛いの痛いの飛んでけー」と痛いところをさすると
痛みが緩解すれば
その呪文とさする行為は
痛みを緩解させるということになる


言葉や行為は意識の状態を変える機能を持っている


言葉には省略されていることがたくさんあるので
その言葉が語らずにいることをたくさん動かしているのである


悪く言えば
何を動かすかわからないので
論理には不向きなのである

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