ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

恋も自然発生ではなく種から育つ


個人の自由を制限しないと
集団は成立しない


だから
集団に帰属していると
守られる安心感とともに
集団を裏切ってはならないとする窮屈さを
もたらしている


この窮屈さが拡大し
個人が集団から独立しようとする時
集団からはみ出した個人の意思は
皆既日食の直後のダイヤモンドリングのように輝くことになる


これは
集団から見れば裏切りの証の光
集団にしてみれば 
集団の意志の中に
個人の意思は埋没していなければならない


家という集団の中にあっては
家の中に埋没する言葉を選び
会社という集団にあっては
会社の中に埋没する言葉を選び
地域にあっては
地域に埋没する言葉を
国にあっては
国に埋没する言葉を
宗派にあっては
その宗派に埋没する言葉を
選びとり頻用する


様々な集団に属しながら生きながら
その集団かの集団で
使用する言葉を変えながら
生きてゆく個人のしたたかさ


時に着飾った信念も変えながらも
集団集団で自分を演じる


集団間に亀裂が生じた時
その亀裂を自分自身の中に持ち込み
人格崩壊を起こしてしまうこともあるかもしれない


人格やアイデンティティーは
言葉からのみできているのだろうか?


言葉は集団に操られる危険な存在でもある


身体の同一性を大事にして
全体性やら統一性やらの
アイデンティティーを維持してゆくのがいい


言語だけをもって「人格だ」などと
粋がらない方がいい


言葉は信用の元である
しかし
全てではない


信用は
お金と同様に
目的ではなく手段である


いくつもの集団が
個人を取り込もうと身構えている
そんな中になって
個人は
「集団に全てを捧げるのものではない」
「ちょっと立ち寄る商店のようなものだ」と
心得ていた方がいい時もある


集団なんて
所詮飾り物
そう、嘘ぶいていた方がいい


これが
グローバリズムの考え方なのだろう



身体以外のアイデンティティーを
人は
なぜか言葉に求めてしまうものらしい


「ただ生きれはよいのか?」
こんな不便な言葉が胸を焦がす


恋仲も
ちいさいながらも立派な集団だ


「集団に帰属したい」
そんな思いが種となって人の心の中に
深く静かに埋め込まれている


それが小さな恋心になることもあり
それが敵意に満ちた集団的無意識に成長したりする


様々な意識を
私が大事に育てているつもりではあるのだけれど
いつの間にやら種から芽が出て育ってきたのだろう


親がなくても子が育つように
意識が勝手に育ってゆく


そんな意識たちと
うまく友好関係を築きながら
アイデンティティーを
なんとかかんとか
維持しているつもりになっていたいものである

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