ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命力:現象の循環が導く一体感


生命現象が
決められた順番で連鎖し循環している


この途切れることのない循環が
一体感を醸し出している


下ネタで恐縮ですが
勃起とやりたい気持ちが
一致しているとありがたい


逆に
不一致が生じると困ってしまう
やりたくないが勃起したり
やりたいが勃起しないのはうまくない


右手を動かそうとして
左手が動いてしまうような事態がおこるようなものだ
不便で仕方がない


通常は
このような不一致はなく
きちんと一致しているので
身体としての一体感が感じられているのだろう


身体の一体感


身体は
互いに忠実に協調しあえているから
ありがたい


ところが
相手があることはそうはいかない


「そんな気分だ」に対して
相手が
「今はそんな気分ではない」ということになると
一体感は崩壊してしまう


私の身体内では
互いに忠実に協調しているので
ある現象に対して
しかるべき反応をしてくれるのだが
私以外の相手は
私に対して
常に忠実に協調しているわけではないので
私の思いは通じないことがはるかに多い


そこで私は
私の思いのほとんどを
外に現すことなく黙することになる


酔っ払い
心を許して
普段隠していることを語る時にも
全てをあからさまにするのではなく
隠していることのほんの一片を現すに過ぎない


この秘密主義により
社会の中に一体感が生まれている


皆が
現すべきものを厳選し現し
この現されたものが一体感を醸し出すのだ


私の右手にも
右手としての主体的意識があって
私の意識に従わないという事態も想定できないではない


しかし
私の右手には
主体的な意識が仮にあっても
忠実に
私の意識に従ってくれているようでありがたい


それに
私の意識にしても
完全な主権を持った主体ではない


現に内臓に忖度し
空腹になったり
排泄をもよおしたりして
大切な会議の途中でも
やむなく
中座したり退席したりする


右手が凍えている時には
私の意識は
その凍えた右手に忖度し
息を吹きかけたりして温めたいと思う


こうして
身体の部分間には
大いなる信頼関係が生まれている


この大いなる信頼関係が
約束され
命として存在できているのだろう


「しっかり勃起してくれますように」
「右手がちゃんと動きますように」
さまざまな祈りが
潜在的に身体の中で流れているということだのだろう


そして
身体はそれに答えてくれている


祈りと恵みの関係は
身体の中で
ごく自然に満たされながら
しずかにしずかに流れているようだ


こんな信頼関係を
社会の中でも熟成するよう夢想しているのだろう
様々な祈りの儀式が
人々の間で繰り返される


少しでも多くの恵みが
祈りに呼応してくれますように

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