ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

厚みのある普遍性


ラッキョウの皮をむいてゆくと
最後には中身が無くなってしまう


日本は四季の国であり
春があり
夏があり
秋があり
冬がある
そしてまた
春が訪れる


春には春の衣をまとった日本があり
夏には夏の
秋には秋の
冬には冬の衣装をまとった日本がある


日本には
四季以外にも
様々な衣をまとっている
衣をまとった日本は
裸の日本ではない


日本の本質を探そうと
日本がまとっている衣を
一つ一つはがしてゆくと
いつの間にか
日本らしさが失せてくる


そこでどの衣が
一番日本らしさを演出しているのかを
考えることになるが
どれということを決められない


多様多彩な考えが
日本らしさを
漠然と演出している


日本ですら
自分らしさを確定できない


いや
日本だからこそ
自分らしさが確定できないのだろう
それが普遍性というものなのだろう


ここだけで通じればよいという
個別性を極力排さなければ
普遍性が現れない


私の私らしさは
個別性が許される


それが私の自由であり
ひ弱さなのだろう

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