ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:共進化が葛藤を亢進させる


カンブリア爆発と呼ばれる
急速な進化の形跡が知られている


カンブリア紀には
食う食われるの関係が鮮明になり
食う側は
捕食者としての機能性を
食われる側は
捕食者からの逃避機能を高めたとされている


世界の一部として佇む生命は
その局在として
反応を自身の局在の中で循環させるだけではなく
自身以外の獲物や外敵に対して素早く反応しなければならない
カンブリア紀は
そんな時代の幕開けの一つの象徴だ


動きを止め気配を消し
狙いを定めて
タイミングを計り襲い掛かる


周囲に気を払い
危険を察知し
必要に応じて一機に逃げる


様々な反応が
刻々と変わり
自ら制御できない環境からくる刺激に対して実践する機能が
カンブリア紀までに発達し
日の目を見たということらしい


意識は
こうした外部との関係に深く結びついた機能なのだろう


内臓や血流などの内部の状況よりも
外部の状況に
意識は向かい活動している帰来がある


理性ともなれば
なおさらに
空腹や排便といった内部事情を無視するようなところがあり
本能や内臓のあれこれを不便なものとしたがる傾向さえも
時に現れる


それでも
理性は
食欲などの本能といった内部事情を無視できないから
それらを保証するべく制度も理性は用意する


朝昼晩の食事時間
婚姻制度やトイレの設置は
こうした理性の配慮なのだろう


工場から
人間が排除され
ロボットが歓迎されている


工業製品の生産という
極めて理性的な行為において
人間という動物への配慮をせずに済む機械は
理性にとって
大変好感の持てる存在だ


理性は
人間より機会を好むというのが
理性的な結論ではなかろうか?


私は
理性に好まれたい
そんな幻想を抱きながら生きている


しかし
私の中の動物がこれを許さない


外部との関係が
内部との関係を押し殺してまで
外部との関係を重視しなければならないものかと
不満を抱きながら
外部との関係を大事にしている


きっと
カンブリア紀の生き物たちも
同じように
もっと内部の関係を大事にしたいと思いつつも
外部との関係に明け暮れるようになったのではなかろうか


内臓の調子が悪く
休みたくてし仕方がないのに
天敵が来て捕食されそうになれば
逃げなければ仕方がない


機械化の波にのまれても
何とかしなければ
食べてゆくれないのだから
機械のように
動物を押し殺し
理性的にふるまいながら
動物を隠してゆかなくてはいけないのであろう


疲れるわけである


疲れながらも
何かを得るために
動き続けるより仕方ない


生きることは
反応することで
生きられるということは
反応の調和を図り合うことなのだから仕方ない

局在と遷移:持続可能性という不自由


環境に応じて
起こりやすい反応と
起こりにくい反応がある


環境が
反応を選択する要因となっているということだ


反応の誘導は
このような環境がより洗練され
その反応を非常に起こりやすくし
反応が起こる蓋然性を著しく高めている状況である


外堀を埋められて
他にどうすることもできない状態で
反応が誘導されているということだ


酵素反応は
否応なく特定の反応が導かれる状況に置かれている


他の選択肢はない環境が整えられた局所が
酵素により出現しているということである


こうした
潜在的可能性を否定され
ひたすら同じ反応を繰り返す局所が作り出され
連帯し
持続可能な反応の循環が
存続する局在を生み出している


堤防に囲まれた川が
同じ流れを持続させているように
酵素により制約された反応の川が
生命体を活動させている


こうした地道な酵素反応が
人間を人間たらしめ
ミノムシをミノムシたらしめている


同じように
たとえば
独裁者は偉い
王様は偉い
法律は素晴らしい
こうした思考的反応が
社会を社会たらしめている


たとえば
犬はかわいい
あるいは
猫はかわいい
こうした思考的反応が
犬派や猫派を熟成している


一度猫派になると
なかなか犬派には転身できないところがある


あの人は猫派だという周囲の目や
ライバル関係にある犬派を批判したりするからだ


こうして思考的反応は
環境を変えながら
その蓋然性を高めて熟成してゆく


束縛された自由の下で
秩序が持続可能性を高めてゆく


持続可能性を高めるために
どこまで人間は不自由になってゆくことが出来るのだろうか?


ネットで批判や誹謗中傷を浴びて
思考を制限される痛ましい現実の中で
秩序が出口を探しているようだ


いつまでこんなことを続けてゆくのだろう

局在と遷移:環境の形成主としての生命


生命が生まれる前から
地球上には
様々な化学反応が起こっていたろう


空中では 空中の化学反応が
水中では 水中の化学反応が
高温の場所では 高温の化学反応が
低温の場所では 低温の化学反応が
存在する材料に応じて
繰り広げられていたことだろう


総じていうと
環境に応じて
化学反応が起こっていたということだ


こうした状況の中で
自己誘導型の化学反応は
より持続しやすい化学反応であったことだろう


自己誘導型の化学反応とは
化学反応の結果
その化学反応が起きやすい環境を形成する化学反応だ


自己循環型の化学反応と呼んでもよいだろう


そもそも
自己というものは
同一を循環させる主体だからだ


複雑にして
効率の良い自己循環型化学反応の実例が
生命だ


自己を保持する化学反応を推し進める環境を
自ら形成してゆく


この自己循環の中で
人間も
生息環境を整えて来た


ウイルスも細菌も
自己にとって厳しい環境から
自己を隔壁で守り
自己を維持する化学反応を
その細胞膜などの隔壁の中で循環させている


自己のための環境を形成するため
生命は懸命に活動している


この環境づくりが
生命の意志として観察される


自己保存的環境整備が
それぞれの生命の正義として君臨し
その正義の旗を振り合う競争が
生命を多様に進化させてきた


これからも
生命による環境形成が進み
その環境に応じた化学反応が誘導されてゆくのだろう


そのなかで
それぞれの局在が遷移してゆく


維持できる環境を保ちながら
維持できない部分の変化に
生命自らの反応も影響を受け変化してゆくより仕方がない


化学反応も
環境に対して自由ではいられないから
遷移するより仕方がない


わたしも
環境により変わってゆくより仕方がないのだろうが
生命として同じ環境を維持しようと躍起になって
努力を重ねるようにできているらしい


年齢に抗したいのも
そんな生命の意志なのだろう