ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:心に局在する自由と抑圧


駄々っ子が
人目をはばからず
母親に向かい泣き叫び
何かを叶えようとしている


その駄々っ子を
母親が封じ込めようと
必死にその子を𠮟りつけたり
諭したり
怒りつけたり
なだめたりしている


そんなことを繰り返しているうちに
駄々っ子の中に
母親が入り込み
湧き上がる駄々っ子を
自身でなだめ
我慢ができる大人へと成長するのだろう


自制心の成長だ


だから大人になっても
心の奥底に駄々っ子が沸き上がり
自分自身を悩ませる


駄々っ子と
それをなだめる母親が
大人の中で葛藤を始めるのだ


心の奥底に局在するこのような葛藤は
母親が勝ち
何事もなかったかのように静かに消え去ることもあれば
駄々っ子が負けず
少しづつその本性を表に現すこともある


駄々っ子と母親は
個人の自由な欲望と社会の抑圧だ


自由な欲望が
社会の隙間をついて
その抑圧を振り払おうと身構えている


こころの中で
自由な欲望と社会の抑圧がせめぎ合うのだ


自由な欲望と
社会の抑圧
このどちらもが心の中に局在し
せめぎ合う


生命が
環境の抑圧を取り込みながら生きて来たのと
同じ構造だ


通用しない欲望は抑制されるということなのだろう


やっても仕方がないこと
やっても身にならないことををやらずに我慢する


それが大人の流儀
生命の流儀ということなのだろう


効率的でつまらない考えではあるが
ひどく納得してしまう


私はつまらない人間になっているということだ


それを心地よしとするのもよいが
駄々っ子に暴れまわってもらいたくもあるから
何時まで経っても
大人になれきれないような気がしている


年寄りなのに
まだ駄々っ子になりたいのだから不思議なものだ


年寄りだからこそ
また駄々っ子に戻りたいのだろうか?

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