ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:環境を独裁する夢想


反応しようとする過去からの踏襲が
刺激を刺激として
相応な反応をもたらしている


過去を再現する技術が完璧であるならば
その技術を用い
同じ現象を繰り返すことが出来る


過去を再現する技術が普遍的であるならば
どこでも
どんな状態でも
その技術を用い
同じ現象を繰り返すことが出来る


しかし
普遍的でない技術では
そうはいかない


たとえば
温度が高すぎたり
低すぎたりすると
同じ現象を繰り返せなくなる技術では
普遍的な技術とは呼べず
想定の範囲外に温度が上がったり下がったりすると
その技術は使い物にならなくなる


人間は
海や川などの水の中には棲めない


逆に
水の中に棲む魚は
陸上では死んでしまう


生きる技術の限界の範囲内で
それぞれの生活圏を築いている


日本語話者は
日本語圏の中で
言語活動を実践する技術を持ち合わせているが
英語圏の中では
その言語活動を制限される


IT難民と自分でも揶揄したくなるように
スマホ文化に戸惑う私は
マイナポイントをもらうのにも
四苦八苦した


言葉は刺激であり
スマホの画面もまた刺激である


こうした刺激にたいして
どの様に反応すべきかが定められているが
それを覚えていないと
その刺激に正確に反応できずに戸惑うことになる


私が反応できるような刺激だけを
世間に流布してもらいたいものである


私に理解不可能なものをすべて排除し
法律で禁止し
閲覧禁止とするのだ


そうすれば
私のための
私による
私の閉鎖的な社会ができて
私はのうのうとそこに棲むことが出来だろう


生活環境を整えるということは
こうした独裁を
私の身体を超えて実践することである


現実的には
私は
一人で取り残されないように
こうした独裁を諦め
わからないながらもわかった風に
スマホと向き合わなければならないだろう


仮に
英語圏に放り出されたら
英語を覚えなければならないだろう


「日本語しか話してはならない」
というような
独裁を私に実践することが出来ないからだ


だから
私と同じような技術を持ち
分かり合える人たちが
周りにたくさんいると幸いだ


マイナポイントを
苦労して手に入れた人が近くにいると
安心する


スマホを使えこなせなくても
インボイスを知らなくても
なんとなく生きていていいんだと
思わせてくれる人が近くにいるとありがたい


出来ないことを
非難せずにいてもらいたい


同じように
なぜ兵役にいかなければならないのか
なぜそれが義務なのか
わからずにいても
非難せずにいてもらいたい


ある日突然
新しい技術が生まれ流布され啓蒙される


戦争が始まれば
「そんなことは言ってられない」
「背に腹は代えられない」
「日本語を話せなくなってもよいのか」
様々な思いが強くなってゆくのだろう


時に鈍感に自分を貫きたくなる時がある


IT難民がスマホに慣らされてゆくように
戦争嫌いも
戦争に慣らされてゆくのだろうか

生命と反応:反応は過去に起因する


反応が刺激を生み
その刺激が次の反応を誘う


この連鎖の中
刺激が空間を移動する


視覚的な刺激は
高速で空間を移動し
聴覚的な刺激は
音速で空間を移動し
触覚的な刺激は
狭い空間をゆっくり移動する


フェロモンや花粉は
風に漂い
ホルモンは血流に乗り移動する


こうした移動の範囲内で
刺激ー反応の連らなりシステムが成立している


離れすぎ
刺激できず
反応できなければ
反応は連ならない


ラクビーの試合における
ラクビーボールは
様々な反応を引き起こす刺激だ
その刺激に
様々な選手が
様々な反応を見せ
ラクビーの試合というシステムが躍動している


時にすばやく移動し
時にゆっくりと移動しながら
ボールがグランドを行き来する


このラクビーボールが移動する範囲で
選手たちが反応を繰り返す


この時
ボールは刺激であるが
ただボールがあるだけでは
ボールが引き起こす反応を説明できない


反応する側に
「ボールが何たるか」が内包されているからこそ
無機質で画一的なボールに
複雑な反応が様々絡んでくる


ボールの刺激性は
反応する側に起因しているのだ


「右」という言葉は
無機質で画一的であるが
「右」と聞き
右に曲がる人もいれば
勘違いするのか
左に曲がる人もいる


「右」という刺激性は
その反応に依っているのだ


普遍的な刺激でも
多様性のある反応として返される


ウサギは
食用にされる餌に見られたり
哀願されるペットに見られたりする


刺激としての存在は
反応する側に仕込まれたように評価されるということだ


仕込みが行われた過去に従い反応される


だから
刺激が新しい反応を引き起こすためには
新たな反応を引き起こす仕込みを
今行い
未来に備えなければならない


反応は過去に起因するのだ


だから
今を悲しむ時
過去を悔やむ


反応に過去が顕われる


今継続しているという幸いをもたらした過去が
選択されながら
反応に顕われる

生命と反応:反応の循環が空間を異質化する


身体は
強い互恵的関係により反応が循環している


この反応の循環が
適正に行われるよう
反応と反応の間は狭められ
反応を阻害するような空間は排除される


この結果として
空間的にコンパクトにまとまった身体として
異質の空間を形成している


こうした
反応の循環と空間の異質化は
細胞としての形態
ミトコンドリアや葉緑体といった細胞小器官でも
観察できる


工場の流れ作業と
その作業場の関連性も同様だ


このように
反応の空間占有により
反応の循環に障害が入り込みにくくなり
反応の循環が持続するようになる


言語圏が分離するのも
このような異質化の要請によるのだろう


言語に裏打ちされた
資源の有効利用の流れも
空間の異質化を要請する


この場所では
あの場所とは違うのだ


これはこうすべきであり
ああすべきではない


このように
空間と反応が結びつきながら
文化圏が分離し変遷を繰り返す


空間は
反応の場であり
その場の様子で
反応の質が変わってくるのだから
反応が維持されるために
反応は場を保存し続けなければ消滅してしまう


血液の流れが止まった身体は
反応の場を失い
消滅してしまうのだ


私の
私の身体への影響力は強いが
私の身体の外への影響力は弱い


この外絵の影響力が強まれば
私はもっと大きくなるのだろうが
なかなか叶うものではない


せめて
小さな部屋の中を
私の思い通りに模様替えして
もっと便利にしたいものだ


トイレもついでに掃除しないとならないだろう