ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:美味しいという評判


あそこの店のお寿司は美味しい


こんな評判を何人かから聞き
それがきっかけで
初めてこの店を訪れる人は
その店のお寿司を食べたことがないが
すでに美味しいことを知っている


この
お寿司を食べる前の「美味しい」は
言ってみれば
空の「美味しい」である


そして
お寿司を食べると
この空の「美味しい」に
味覚が入り込み
記憶となり
空の「美味しい」に中身が入り込むことになる


「ああ、評判通りのおいしさだ」


まるで
その味わいを知っていたかのように
「評判通り」と感じたりするのだから
評判というものは
知らぬ味を
さも知っていたようにしてしまうから
不思議この上ない


考えてみれば
知るということは
そいうことなのかもしれない


知っているつもりになることが知ることであり
全てを把握する必要はない


知ったふりをしていれば
知っているようなものなのだ


だからなのだろう
後世になって否定される学説も
否定されるまでの間
大手を振って真実であり続ける


正義も同じなのだろう


学説も
正義も
それを良しとする局在の中で
真実であり続け
その真実性により
局在が保たれるのだ


美味しい店は
味覚に忠実である


学説は観察される事実に忠実であり
正義はその後の顛末に忠実である


この忠実性が希薄となれば
店の評判は落ち
学説は欺瞞に頼り
正義は罰に頼ることなしには
維持できないものとなる


私も
様々な何かに忠実になりながら
私の局在を維持している


私にはつかみがたい
知られている私をどこかで意識しながら
欺瞞や
強権へ頼りたい気持ちを抑えながら
知られている私への忠誠心からのなのだろう
本当の私を裏切ったりしながら
私を維持している


あるべき私
それを
知っているのか
知らずにいるのか
知ったふりをしているのか


知っているということを確実にすることは
まことに困難でありがた迷惑な命題だ


時に
まずいと感じた寿司を
「美味しい」と言わなければならぬのだろう

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