ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:言葉の檻の中で泣きわめく赤子


人間にとって
言葉は環境である


気温や
湿度や
風向きと同様に
人間にとって
言葉は環境である


だから
環境に適応するように
言葉に適応する


環境の在り様により
体が反応するように
言葉に対して反応する


のみならず
暖炉で暖をとったり
冷房で室温を下げたりするように
周囲にある言葉を
自在に操ろうと腐心する


売り言葉に買い言葉や
カッとして手が出るのは
言葉を操ろうとする反応だ


だから
言葉は禍の元と言われてしまう


禍の元だから
整理整頓して整えた方が良いというようなことになり
正義論が戦わされる


宗教や法律も
そんな努力の賜物だ


こうして
外部の言語が強化されると
内なる言葉が押しつぶされ
まるで
言葉の檻の中に収監された状態で
言葉をつづるようになる


生命は
環境に適応しなければ生きられない


言葉も
周囲に通じなければ死んでしまうのだ


黙殺されるということだ


森の中では
言葉は通じないが
たくさんの生命反応が連鎖している


きっと
それぞれが黙殺されないように
それぞれの反応をつづっているのだろう


知らない言葉に囲まれているような状態なのだろう
私は部外者だ


全てが光に曝されている昼間はまだしも
言葉が分からない心細さが
夜の森の暗闇が運んでくる


私は
言葉の檻に収監されている


私が自らそれを好み
愛し
この檻の中に我が身を置いている


言葉を愛するということは
私が人間として生まれ
人間を受け入れ
人間であることを愛していることと同じように
当たり前のことなのだろう


決して当たり前ではないことが
当たり前になることが
命ということなのだろう

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