ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:流転に抗う記憶たち


記憶が留まり続けていることに
感謝しなければならない


歯ブラシの使い方を忘れると
歯ブラシを見ても何に使うものかわからないだろう


横断歩道の渡り方を忘れてしまえば
車の往来する道路を
猫のように走り抜けようとするのかもしれない


100万円の束が落ちていても
それを拾おうとも思わないかもしれない


昨日とは違う今日になり
昨年とは違う今年になっても
記憶が
同じように歯ブラシを使い
横断歩道を渡り
お金を欲しがるようにしてくれている


記憶喪失の人や
認知症が進んだ方とは
話がかみ合わないと聞く


逆に
何十年もあっていない子供の頃の友人と
ばったり再開すると
昔の話で盛り上がったりする
そして
すっかり変わってしまった外見を棚に置き
「ちっとも変ったないなあ」などと
笑いあったりする


万物が流転する中で
記憶が維持されているのである


ありがたいことである


この記憶の維持により
記憶に基づいた実践が繰り返される


すると
秩序も維持される


だから
法律を覚えられない猫には
法秩序を作ることが出来ない


しかしながら
いわゆる自然の掟に従い
食べ子を産み育て
猫の秩序を後世に伝えてゆく記憶は持ち合わせている


生み落とされた卵のほとんどは
カエルにまで成長しないにもかかわらず
それぞれの卵が
それぞれの記憶に従い成長し
万が一成熟したカエルになると
卵を産み記憶を後世に伝えてゆく


こうして
万物が流転する中で
記憶が維持されてゆく


私も
流転に抗う記憶である


若き頃の記憶をたどり
老いてゆく肉体を抗おうと
ストレッチをしてみたり
運動してみたりと
記憶に翻弄されている


いずれは寿命が尽き
朽ちてゆくのだろう肉体を
その秩序を維持しようと
懸命に実践を繰り返している


リチャードドーキンス博士が言うように
生命は記憶を運ぶ船なのである


流転する荒海を航海し
どこへ向かうともなく漂流する船なのだろう

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