ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:探し物の「ある」「なし」の派生について


「ある」ということが
「ない」ということに対峙している


対峙しながら
そのどちらもが頭の中にある


そして
どちらから優勢になると
もう一方は「ない」ということになる


「ある」がなくなる時もあれば
「ない」がなくなる時もある


「ある」がある時もあれば
「ない」がある時もある


探し物がない時には
「ない」「ない」「ない」とつぶやきながら探し
みつからると
「あった」「あった」と喜ぶ


この間
探されていた物は
ずっと同じように存在していたに違いない


認識と実体には
このような差異がある


探し物においては
「ある」「なし」の判断は
派生物なのである


この派生物たる判断は
実体の精査を進めることにより
その信ぴょう性が評価されてゆくことになる


探し物は
どこかに隠れていることもあれば
すでに捨てられ燃やされていることもある


どこまで捜査範囲を広げながら
いろんな人に聞き取り
探し物を捜すのかは
どんな探し物かにより異なろう


いずれにしても
探すという実践により
「ある」「なし」を判断してゆくことに相違ない


そして
探している間は
「ある」であったり
「ない」であったりするのである


ツチノコやネッシー


神様や
永遠の真理や
人生の意義も
あったりなかったりと諸説様々なので
そんな探し物の類に属するものなのだろう


実践や実態を置いておき
頭の中だけで考えるならば
あればあり
なければないのである


その判断の信ぴょう性は
まだまだ遠い未来に決まるのだから
今はどちらでも良いのである

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