ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:認識の能動性がもたらす自由度


認識は
認識の対象と隔離されている


認識不足や
認識の齟齬が生じるのは
この隔離があるからである


そこで
何らかの実践を通じて
認識の対象にアプローチして
認識を改め続けてゆく


このように
認識は
認識の対象に対して
能動的である


この能動性には
いくつもの方向性があり
この方向へ能動であるのかにより
認識対象に対する認識は変わってくる


このように
認識は
認識対象そのものではなく
認識の能動性により派生した存在であることを
忘れてはならない


とかく
認識が正しいと盲信することがあるからである


しかし
この盲信が共同幻想を可能とし
社会を営むことが出来るようになっている


ここに
人間社会の能動的自由がある


認識は
認識者の自由により変化するものなので
認識の共有により創造される社会も
自由なのである


しかし
共有されなければならないという制約
認識対象から受ける制約を受けることになる


このような制約から逃れ
もっと自由になりたいと願うと
虚構の世界を描くことになる


認識の能動性が躍動する芸術の世界が
それである


受動的なだけでは
新たな創造は望めない


生命は能動的である


無くても良いものを
積極的に創造し続けている

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