1+2=3である
3=5-2である
よって
1+2=5-2である
3をいろいろに表現できるということである
1+2や5-2はむろん
103-100も3である
1003-1000も
105-102も3である
表現される形は違っても
みな3である
3は
無限に異なる表現を持っている
この3が持つ表現全てが
同じ3なのである
この全ての表現がなぜ同じ3であるのかを知ることで
3を理解することになる
言い方を変えると
3をただ「3」として知るだけでは
3を知らないということなのである
だから3は「3」でい続ける訳にはいかない
1+2や5-2に変換され
再び「3」に戻らなければならないのである
この「3」が3であり続けながら循環するところに
3の生命線があるのである
「3」がいつでも「3」であると
3は生命の躍動を失い
「3」として徐々に浸食されながら
「3」としての形も風化されてゆくのだろう
「3」は
3として循環しながら
その生命を維持してゆくのである
意識が数字を変換し
循環の中に置き
生命を吹き込むように
酵素たちが
化学物質を変換し
循環の中に置き
生命を吹き込んでいる
そして
私が循環している
「私」として動きを止めることなく
私を循環している
次から次へと私の表現を変えながら
私を維持している
変わりながら同じであり続けるのである
「不同の同」の中で循環するのだ
だから
同じでないことを恐れてはならない
103-100が
1+2になっても
同じ3である
「3」で固まってはつまらない