ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:永遠の中を生きる意義


死ぬと
桜の花を見ることが出来なくなる


死んだことがないので
上の言葉の真偽を実感したことはないのだが
視覚が生きているがゆえに働いている機能であるならば
死ねば
視覚が機能しなくなり
桜の花も見えなくなることは
必然な出来事である


鏡に映った桜は
鏡が割れると無に帰するのであるが
本物の桜は
鏡が割れようが割れまいがそこに在る


言ってみれば
死ぬと
意識の中に在る本物でない偽の桜が見えなくなるのである


本物は無くならず
偽物がなくなるだけなのである


しかし
私にとって
偽物の桜しかない


この偽物の桜を見るために
私は生きているのである


意識の中を移りゆく
あらゆる偽物を眺め認識するために
私は生きる


ここにおいて
これら偽物に尊厳が付与され
本物として奉る理由と意義が生まれたのだろう


そこで
本物の桜が
雨に打たれて散り去っても
私の記憶の中の桜は
のどかな永遠の中に咲き乱れることが出来るのである


鏡の中の本物が永遠を手にするかのようである


この永遠を
私は欲しがり生きている


死ねば消えるのかもしれない


それでも
そんな永遠しか
私にはなく
それが愛おしい

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