ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:懸命に生きている存在


傘を盗られないようにする為には
傘の柄に
「神は見ている」と
書けばよいと聞いたことがある


人様の傘を手に取ろうとしたときに
「神は見ている」という言葉を見ると
手を戻したくなるようならば
その人の心に「神」は生きているのである


そして
その人がその心を押し留め
その傘に手を伸ばし拝借すれば
神を殺したことになる


「ああ
 神様は見ていてくれたんだ
 雨が降り
 困り果てている私に
 神様は傘を恵んでくれたんだ」
そう思い
傘に手を伸ばす人もいるかもしれないが
通常は
罪悪感を意識的にせよ
無意識にせよ抱きながら
人様の傘に手を伸ばす


悪魔の心が宿っているということである


この悪魔が
傘の柄の「神は見ている」の言葉により
攻撃されるのである


神が勝つか
悪魔が勝つかの葛藤が
意識の中で始まる


こうした時
神様も
悪魔も
それぞれに
殺されまいとして
懸命にその命を生きているのである


生かされているのである


それぞれに
生かされているのである


そしてまた
同じ循環が繰り返される


雨の日に
誰かの傘が
誰かの手に渡るのである

×

非ログインユーザーとして返信する