たとえば 「上の者に従う」という正しさにより 組織が統制されていることがある こうした状態では 組織の構成員の数だけ この正しさが複製され機能しているから 構成員全員が 一体となって 特異な秩序を形成している 「正しさ」は複製され 複製された「正しさ」は 次々と その「正しさ」を複製していゆく こ... 続きをみる
2021年12月のブログ記事
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複製物は 厳密には それぞれ全てがそれぞれに異なるものである しかし だいたい同じならば同一物として認識される このような場合の「同一」と認識される条件を考えてみる 昨日の雨と 今日の雨の同一性は 刺激としての同一性だ 昨日の雨が傘をささずに済むような雨で 今日の雨が傘をさしても歩けないような豪雨... 続きをみる
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精密部品は 厳密に管理された環境で製造される 温度が違うと それ以外は全く同じ製造過程で製造された部品も 異なった部分が現れてしまうことがある コンピューターチップの製造では ほんの小さな塵が混入するだけで不良品になってしまう ということを聞いたことがある 複製作業は その作業環境により 複製物は... 続きをみる
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セテウスの船の逸話があらわすように 部品の交換を重ね 元からあった部品がすべてなくなっても 全体が保全されているということがある 部品を全く同じ複製物と交換しても 全体の同一性が保たれるからだ むろん ここでいう同一性は 認識としての同一性の保持であり 厳格な意味では部品交換の前後で 異なる部品を... 続きをみる
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『私の城下町』の歌詞のなかに 「好きだとも言えずに、、、」というのがある 好きな人に 素直に好きですとなかなか言えない心理は 万人に共通しているようだ 「好きです」と言いたい気持ちと 「好きです」と言えない気持ちがせめぎ合い 言えない気持ちにの方に傾くと このせめぎあいの波は静かに収まり 言いたい... 続きをみる
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規格品は どのメーカーの作であっても同一でなければならない 電源のコンセントの形が メーカーごとに違っていたら不便で仕方がない 規格化がまだ途上なのだろうか USB端子は個性的なところがあって 形が当てはまらず入らないことがある 同じ機能を持つUSB端子も 形が違うだけで使い物にならないのだから ... 続きをみる
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記憶は なぜか「これが本物である」と主張してる 記憶の元になった現実は すでに過去のものとなり消え失せ 本物は不存在になったことをいいことに 記憶がは 「これが本物である」と主張し続けている 今は 映像を録画したり 音声を録音したりできるので いくら記憶が 「これが本物だ」と主張しても 記録された... 続きをみる
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犬の頭を持つ人間のような姿のアヌビス神が 古代エジプトにおいて 冥界の王として君臨していた こうした 複数の動物を併せ持ったキメラ生物が 共同幻想の世界に生息している 半人半馬の怪物ケンタウルス 竜や ペガサスもそんな仲間だ 鬼の角も 仔ヤギの角にどこか似ている 私の頭は 人間の様であり シカやヤ... 続きをみる
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100円玉10枚と 千円札一枚は 同じであるが 異なっている 同じであるから交換できるが 異なるから交換する 重さも体積も見た目も違う 100円玉10枚と 千円札一枚が 同じだと思うのは 重さや体積や見た目に価値を感じないからなのだろう 100円玉や千円札を 物質としての価値を見て取っていないとい... 続きをみる
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「これはあれと同じだ」と直感すると これとあれの同じところを探し出し 「やはり同一だ」と結論付ける 逆に 「これとあれは似てるけどどこか違うな」と感じると これとあれの違うところを探し出し 「やはり異質なものだ」と結論付ける 同じと思えば同じで 違うと思えば違うということになる 大雑把に見れば同じ... 続きをみる
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小学校のころ 運動会で 整列をさせられた よそ見をしたくなり よそ見をすると 「よそ見をするな」と怒られた 隣の人と話したくなって 話をすると 「話をするな」と怒られた 皆が同じようにしていないと 整列ではないらしい 小さな自由の抑圧だ * 身体障がい者に避妊手術を施した時代があったという 中国の... 続きをみる
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今年の秋も 去年の秋も 同じ「秋」である この「秋」の同一性は 物事その物の同一性ではなく 認識の同一性だ 物事の本質は 多種多彩であり 一瞬一瞬異なる事象に移り変わっている これに対して 認識の本質は同一性にあり さっきの雨も 今の雨も同じ雨であり 去年の秋も 今年の秋も同じ秋として認識する 認... 続きをみる
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アミノ酸が重合して タンパク質の一部となる過程を 同化という 逆に タンパク質から アミノ酸が分解される過程を 異化という 同化が進めば 大きな分子が出来上がり 異化が進めば 小さな分子が増えてゆくことになる 同化が進めば集団は大きくなり 異化が進めば集団は小さくなるということだ アミノ酸は 筋肉... 続きをみる
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地球環境を保全するには 人間がいなくなれば良い 人間が居ようが居まいが 地球は回るのだ こんなふうに割り切れないから なんとかしようと 地球環境について 総論賛成各論反対の議論が盛り上がり 自分を棚において 他人を攻撃したりすることになる 人間は 人間のための地球を創造したいのだ もっといえば 自... 続きをみる
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カタツムリは 閉じこもる殻を持っているけれど 閉じこもってばかりはいない 生きるために 殻から身体を出して活動する 同じように 人間は 寝ていることができるけれど 寝ているばかりではなく いやいやながらでも 寝床から出て活動する 寝ている時は 目を閉じ 耳をふさぎ 鼻も臭いから遠ざかっている 感覚... 続きをみる
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「怒る」という言葉と 「叱る」という言葉の間に 微妙な違いがある どちらかというと 「怒る」には感情的で利己的なイメージが 「叱る」には理性的で利他的なイメージがある 「たしなめる」という言葉もある これは 「叱る」よりももっと 理性的で利他的なイメージがあるけれど どこか 上から目線のところがあ... 続きをみる
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「私は生身の身体で空を飛べない」 こんなふうに 飛ぶ能力が欠如していることには不満をもたないけれど 周りの人が皆で英語をしゃべっているにもかかわらず 自分だけ英語を喋れなければ 英語力の欠如を嘆くことになりそうだ 能力欠如に不満を持つか否かは 自律的に決定しているのではなく 周りの影響を大きく受け... 続きをみる
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スポーツの数だけ 個性的なヒーローが現れるように ネットサイトの数だけ 個性的なヒーローが現れる そんな圧倒的な知名度のあるヒーローも 他のスポーツや 他のサイトの観客には 全く知られていなかったりする このように 世界は分断され それぞれの独自性を築いているということだ 分断され多元化された世界... 続きをみる
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世界には 多元的に 様々な文化が華開いている それぞれに隔離されていた文化が インターネットの電波でつながれ始め 一元化の波にさらされている と同時に ネットサイトが個別特殊化をするようになり 同じ場所にいながらも 異なる文化が華開くようになってきた インターネットにより 世界は統合的に細分化され... 続きをみる
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言葉には 3つの制約がある 文法律 経験律 矛盾律 文法がおかしい言葉は 「それ変だよ」と注意され直される 感覚を通して経験されることと一致しない言葉は 「それ本当なの」と疑問視される 文書の中に矛盾があると 「論理的に矛盾してるよ」と否定される 言葉は相互に疎通して成立するから 相互に監視されな... 続きをみる
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「電気」という単語は動かないから いつも同じく「電気」として存在する 「動く」という単語も動かない 「動け」という単語も動かない 単語は 動かないから いつまでも同じままでいてくれる そうでなければ 記録や記憶も 現実と同じように時間がたつと変わってしまう この動かない単語たちを 選び取る組み合わ... 続きをみる
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自然は無責任だ 人間に知能を授け その力で 様々な産業を興し 便利な環境を作れるようにしたのに 地球温暖化を引き起こし 異常気象で 人類に災害をもたらしてくる 話が違うじゃないか 人類を育んだ自然には 人類を守る責任があるのではないか? その責任を放棄して 人類を危機に貶めるとは 自然は全くもって... 続きをみる
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成功は 局在化した能力が 局所において目標を達成することだ ここでいう 目標と能力は 異なる次元に存在する 目標は幻想の中で 幻想の主体全体をよりよくするために設定され 能力は 主体内部の局所で働く実践だ 目標と能力 夢と現実 幻想と実践 言語は 2項対立を描くばかりではなく 幻想の次元を区切る役... 続きをみる
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人間は 鳥や虎 あるいは鼠になる可能性を捨て去り 人間として生きている 一般的に言えば ひとつの秩序は 他の秩序として存在する潜在的可能性を捨て その秩序として存在している 潜在的可能性を捨てているので 秩序は「全て」として存在できず 局在化した部分として存在している 私は人間として 鳥や虎 ある... 続きをみる
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植物も 懸命に生きている尊い命だ 植物も 食べられるために生まれて来たのではなく 生きるために生きている つまり 食用される植物も 食べる側の理論に則り食べられているだけで 食べらまいとする理論が無視されているから 現実として食用にされている ただ 植物の場合もそうであるように 食べられる側も 犠... 続きをみる
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人間と 人間以外の動物との関係は 多元的だ 乳牛と肉牛は区別され 異なる倫理が働いている 鶏と豚は 糞尿にまみれた せまい場所に拘束されている 猫や犬は 愛玩されながら飼われなければならず 食肉用に 鶏や豚のように飼育されてはいけない 野生動物にたいしても 差別をすることが倫理的とされ イルカやク... 続きをみる
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バスケットボールと サッカーでは 運動というカテゴリーにおいては 同一性を維持しているが ボールの扱い方で大きく異なる 手を使うのか 足を使うのかの違いだ この 両立しえないボールの扱い方が バスケットボールの世界と サッカーの世界を 連続性のない二つの世界へと分離している 生物種に中間の形質が少... 続きをみる
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人間は 「言葉」に手綱を握られた動物だ 夢や希望も言葉なしでは語れない 語ることでしか 実現できないことに振り回されながら それを普通の事のように やりすごしている 言葉に曳かれて 私はどこへ行くのだろう そこへ曳かれて行くために 私は言葉を覚えたのだろうか? 言葉は お金と同様に道具なのだろう ... 続きをみる