ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言論統制の持続可能性を模索しながら


言論統制は
雑草に覆われた大地に
除草剤を播き
特定の植物を栽培するようなものだ


言論統制された社会から見れば
言論統制されない社会は
野蛮な雑草だらけの原野のような場所なのだろう


精神の清らかさは
原野の中の雑音ではなく
凛とした教会の中にこそ生まれるのかもしれない


いや
精神の清らかさは
そうではなく
例えば
険しい道のりを乗り越え山頂にたどり着いた
登山者の心の中に宿るものかもしれない


これらは清らかさは
同じ清らかさなのだろうか?
それとも異なる清らかさだろうか?


私には
どちらも同じに思えて仕方がない


私は今
殺虫剤で蠅や蚊が駆除された大地で暮らすことに慣れてしまっている


うるさい蠅や蚊が私に近づけば
殺虫剤を手に取り反撃するだろう


私は
私の標準の中で暮らしている


この基準が世界基準であると信じ
この世界の中で生きている


信じ切ること
そしてそれが信じるに値するものと実感できると
精神は清らかなものとなるのだろう


自宅の庭に生い茂った雑草を刈り取り
予定通りに奇麗に整った庭を眺めるときの心地よさだ


この清らかさを求め
果てしない雑草との戦いのように
言論統制の持続可能性が様々に模索され続けてゆくのだろう


まずは信じ切ることである


信じ切らなければ
雑草のような心で右往左往しながら
世界を自由に流浪することになるのだろう


雑草の風任せ
それはそれで憧れだ


運がよければ
清らかさにも巡り合えよう

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