ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

制御と反応:知らぬが仏


昨日までも私の記憶を失うと
私は
新しい私となるのだろうか?


私は
私の記憶により維持されている


きっと
その記憶の維持に
身体が貢献しているにちがいないのだろうが
その詳細を
私は知らない


私の身体の奥深くで行われているであろう
様々な現象のひとつひとつについて
私は知らされていない


何か異変がある時に
「痛い」という感覚と共に
危機を知らせてもらえるのだが
そうなる前には
何が起こっているのか
考えもせずに
身体に任せ切りにしている


こうした方がいいよ
とか
ああした方がいいよ
などと
身体にアドバイスすることもない


親子関係に例えるのなら
身体は親で
心は子供の様だ


心は
そうしてくれることが当たり前のように
身体に甘え
身体は
心に何をされようが無条件に心を守る


心は
もっと良い身体を持ちたかったと
身体を恨んだりするが
身体は
何を思われても心を守る


そんな心も
身体が痛み失うかもしれないと思った時
体をいたわらなかったことを後悔し始める


身体は親で
心は子供の様だ


私は
私の記憶により維持されている


私は
親から様々な記憶を授かった


しかし
全てを教えてもらえなかった


全てを知らせてもらえていない


全てを知らぬがままに
知らされた世界の中で
私は生きている


世界の表層を知りながら
私は生きている


私の身体の深部を知らぬままに
私は生きられるようにできている


知らぬがままに
生きられるようにできている


その
知らぬがままにいる私は
記憶からできている

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