ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:幾重にも重なる存在の中で


リンゴを置くと
その場所はリンゴにより占められ
他の存在は排除される


もしその場所に
リンゴではなく
ブドウが置かれていれば
リンゴは
その上もしくはその横に位置することになる


頭の中も
こうした空間と同じように
「これをしなければ」と思いついて瞬間に
他のことはどこかに霧散し
頭の中は
「これをしなければ」で占められてしまう


はじめに
「あれをしなければ」が
その場所にあると
「これをしなければ」は
その横や上に位置することになり
目を動かすかのように
「あれ」と「これ」を交互に思考したりする


そうしている間は
その場所に
ブドウとリンゴしかなく
ナシやイチゴがないように
その他の考えがどこかにいって隠れている


その場所に在るべきものは
ブドウやリンゴではなく
ナシやイチゴかもしれないが
「あれ」と「これ」しかなくなる


目の前の事態に対処しなければならないのだ


それが反応である


他に予定されている反応がたくさんあっても
今ある刺激において
反応が引き起こされる


隠れている刺激は
刺激ではない


それを探すためには
主観を離れ
客観的にならなければならない


目の前のリンゴを食べず
目の前にはないナシを探すのだ


ナシに探し疲れ
何も得られないかもしれないが
ナシを得る客観性が正しければ
それを為す努力を重ねなければ
正しさにたどり着かない


目の前の製品はリンゴであり
それを加工する報酬がナシであったりする


目の前の現金はリンゴであり
それを運ぶ報酬がナシであったりもする


全ての実を食べてしまえば
来年蒔く種がなくなることを知らなければならない


幾重にも重なる思考が
時を前後して
その場所に現れ消えてゆく


空間は単純だ


それを眺める思考は
幾重にも入れ替わりながら
それでも
その場所を
争うように占有し合いながら
リンゴやナシのように
存在を主張してくれている


何を排除し
何を残すのか?


その結果が
秩序の淘汰選択を左右してゆく


リンゴを残すのか
ナシを残すのか
どちらが良いのだろう

×

非ログインユーザーとして返信する