ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:感覚の正当性と理性の正当性


仮に
リストカットすると快感が得られ
性交により激痛がもたらされるとすると
そのような動物は
速やかに
その生息数を減らし
絶滅に至るだろう


このことは
感覚の不適切な発露という
内的な要因により死滅することを示している


なにも
絶滅は
環境の変化といった
外的な要因により引き起こされるばかりでないだろう


自然淘汰は
外的要因である環境への適応ばかりではなく
内的な反応の組み合わせという
自己と自己の愛称というような
内的適応をも促している


正常、異常ということでいうと
リストカットに快楽を覚えることは異常であり
性交により激痛がもたらされることもまた異常であり
正常と判断できるということに対して
内的適応が整っているということが出来るだろう


「生きるために」である


こうした内的適応の一環として
私は
怒りを覚えたり
幸せを感じたりしているらしい


小春日和の縁側は
心地よいし
傘もなく
冷たい雨にさらされると
切ない気持ちに覆われる


生きようとする環境が
私の内側に形作られている


こうした外堀に囲まれた内側で
私の理性があれこれと画策しているようだ


私の理性は
時にその外堀の向こうに何があるのか覗いてみたくなるのだが
その向こう側に行こうとしても
その一歩も二歩も手前で引き返し
遠くからその外堀を眺めている


それなものだから
戦争に恐怖を覚える


恐怖する場所から
如何に離れるべきか
理性は考える


これが正常であり
戦場へ行きたがるのは異常なことだろう


それでも戦争が継続しているのは
このような異常が成立しているからに他ならない


戦争を正常とするような
理性的な工夫が
幾重にも敷設されているからなのだろう


集団が
個性を押しつぶすのは
そんな工夫の成果ということになるのだろう


集団にとっての内的適応は
集団が生き残る目的おいて精査され
個人が生き残ることより優先されよう


集団の尊厳と
個人の尊厳のバランスが
集団と個人の間で葛藤を繰り返し
時代の遷移が繰り返されてきた


個人にとって
集団の内的適応は環境に過ぎない


しかし
この集団が作る環境が
生きるために
より重視しなければならない環境であることを
否むことはできない


「熊より人間の方が恐ろしい」


「お天気より
 パートナーの機嫌が気にかかる」


様々な言葉が
他者が作る環境の重要性を物語っている


この重要性を認知するゆえに
理性は
苦痛を忍耐することになる
そして
快楽を我慢することになる


理性的であろうとするとき
忍耐と我慢が要求される


リストカットの激痛を快感に変え
性交の快感を激痛に変えるほどの力は
理性にはないのだろうが
それに近いような逆転が
戦争の場において起きているのだろう


正確に言えば
起こさせようとされているのだろう


企業戦士という言葉がある


ビジネスも戦争だ


個人の尊厳より
集団の尊厳をより重視する局面で
戦争が揶揄され
自己犠牲が推奨される


言うに及ばず
集団に従わなければ
環境に適応できない敗者になりやすい


それでも
それに抗する何かを
個人の心の奥底に
大切に残しおかなければならないだろう


けだし
集団の独裁が
それを破壊しようと目を凝しているかだ

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