ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:4原因説と主体の進化


反応は
必要条件をいくつも重ね
十分条件を満たしたときに
初めて始まり
反応前と
反応後とでは
異なる世界を描き出す


必要条件が十分に満たされない間は
反応の仕掛けは
反応の仕掛けのままでいる


しかし
その仕掛けに
反応の道筋を描くには
十分な条件を満たしていたりする


このような道筋を描いた仕掛けが
反応の主体ということになろう


ソクラテスの4原因説によると
腰掛る椅子を作るために
4つの原因が揃わなければならない


質料因 木や鉄がなければ椅子はできない
形相因 形が決まらなければ椅子はできない
起動因 材料を切られた形に組み立てなければ椅子はできない
目的因 座る目的を達しなければ椅子とは呼べない


それぞれ必要条件であり十分条件ではないが
4つの原因が揃えば十分条件を満たしてゆくことになる


この4つの原因の中のどこに
反応の道筋を描いた主体があるだろう?


材料が決まらなければ形が決まらないこともあろう
造りながら形や材料を変えてゆくこともあろう
むろん目的に沿わなければ
材料も形もかえてゆかなければならないことにある


主体は
様々な原因や条件を取りまとめてゆく力でもあるだろう


この取りまとめる過程で
どこを中心にバランスをとるかで異なった椅子が出来てくるのだろう


手に入りやすい材料を中心に据えることもあろう


見た目を重視することもあろうし
座り心地に力点が置かれることもあろう


作りやすさを中心にすることもあろうだろう


このなかで
座り心地や
見た目は椅子そのものではなく
椅子を利用するものの視点であり
椅子ではない


これは椅子を取り巻く環境に属するもので
椅子の高さとテーブルの高さといった相性や
椅子を置く部屋の雰囲気と椅子の雰囲気の相性もまた
椅子ではないが
椅子が椅子として機能するためには必要な
目的因に属する条件である


むろん壊れにくさも
大切な条件だ


椅子が椅子として存在してゆく道筋は
様々な条件により
紆余曲折を繰り返しながら
進化の道を歩むのだろう


現在
高級なものから廉価なものまで
様々な椅子が進化してきた


それぞれの椅子には
それぞれの主体があり
その椅子としての尊厳を顕示している


そんな椅子の主体は
様々な条件を満たしながら
それでいてどこかに不足をはらみながら
存在しきたのだろう


だから多様であり
どれも完ぺきではないけれど
それぞれの十分条件を満たし存在している


威厳ある王様の椅子に
ソファーのようにリラックスしれ座ることはできない


狭い部屋には
小さな椅子がちょうどいい


主体は
主体のある場所を
ぐるりと一周見渡しているのだろう


時間をかけ
幾度も自らの在り様を試し続けているのだろう


だから
主体が変わり続け遷移してゆく


昔の様ではいられなくなってゆく


子供の様にはいられなくなり
青年の様ではいられなくなり
中年の様でもいられなくなる


主体は
身体にあわせて
変わり続けてくれているようだ


これも生まれる前から仕掛けれらていたことなのだろう


私は
椅子の主体に相当するような私の主体の下に
私の意識を動かしているのだろう


スーパーエゴ


スーパーエゴが意識されないものならば
椅子にも
スーパーエゴが存在していてもおかしくはないだろう


このスーパーエゴが
椅子を椅子足らしめているということだ


スーパーエゴは
そのものではなく
そのものが置かれている周辺一切の時空を巻き込み
紆余曲折を営んでいる主体的存在なのだろう

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