ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:尊厳を生む予定調和


「肉体疲労」という言葉は
疲れているわけではなく
筋肉痛があるわけでもないので
疲れていなくても「肉体疲労」と発語できる


しかし
本物の「肉体疲労」では
疲れた感覚や
筋肉苦痛を伴い
ひどい場合には
「肉体疲労」などと発語する発語する余裕もなくなる


それに
「肉体疲労」という言葉を知らない外国人と
「肉体疲労」という言葉に親しんだ日本人の間には
この言葉を見た時に
大きな反応の違いが生じるのも面白いことである


この意識の差により生じる差分にこそ
言葉の生命線が隠されている


反応させる側と
反応する側の予定調和のなかで
言葉は
生き生きと交換され
後世に伝えられてきたのである


このような言葉と同様に
肝臓という存在も
腎臓という存在も
このような予定調和の中で
伝えられてきた


言葉も
肝臓も
腎臓も
無くてはならないものとして
進化してきた無用なものなのである


この無用なものを
無くてはならないものにしてきた慣習の力が
尊さを育み続けて来たということである


ある組織に属すると
私はその組織の予定調和の中で
私は
その組織にとって尊きものになるように努力して
尊きものとしての慣習にとらわれてゆくだろう


その組織から離れると
私はその組織にとって尊きものから
無用なものへと変わるのだろう


予定調和が
尊さを育てている


その属する組織の調和のなかで
予定調和が
尊きものとして選択されてゆく


私は
無用への陥落を畏れているのだろう


老いに抗いたいのである


無用へと続く道を抗いたいのである


肉体疲労を乗り越え
まだまだ動ける体を維持したいのである


この抗いもまた
私に埋め込まれた尊厳の一部なのだろう

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