ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

「右手が存在する」構造主義と現象学


右手の掌を上に向け
上から左手で叩く


パチンと音がする


この一覧の動作を
この文章を読みながら
再現できる人は
間主観的に私と連なっている


それだけではない


文字を見る目と右手や左手が連なっている


構造が前置されていてこそ
パチンと音がする



右手は
主観的存在か?
それとも
客観的存在か?


右手は動かす対象であり
知覚の対象でありながら
私の一部であると主張している


私という意識は
支配の構造を象徴しているのだろう



現象が
前置されている構造に沿って流れてゆく


想起される未来へ向かい
構造としての反応を重ねてゆく
この過程において
予定通りに運ばない「幻滅」や
予定通りに進む「充実化」の反応が存在する


現象が流れ
構造が侵食される
あるいは
構造が増強される


志向性の先に構造がある
構造として
右手が動き
構造として
左手の感触を知覚する


構造として
手が叩かれる感触と
パチンという音が調和する


言葉と物理現象が
精神現象の中で調和する


肉体の構造がある


熱いものに触れると
右手は意識に
それを知らせる


言葉の構造がある


嘘が暴かれると
間主観的に
それを知らせる


構造のない現象は
再現性のないカオスに陥る


「右手が存在する」
この構造の存在により
現象に再現性がもたらされる


この再現性が
イデアとなり文字となり
観念としての構造が出来上がる

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