義務にがんじがらめになっている内部と 義務から解放されている自由な外部の境界がある 内部の秩序が通用しない外部の様子を 内部からうかがう手段として 感覚器がある 目や耳や鼻から 外部の様子を内部に取り込む 逆に言うと 目や耳や鼻を閉じると 外部の様子が内部に届かなくなる 内部は 常に 外部の無秩序... 続きをみる
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仮に 善い行いと 悪い行いがはっきり分かれているとして 皆がそれに従っていると 公平だ しかし 悪い行いも 仕方がなく許される悪い行いと 許されない悪い行いに分けてしまうから せっかく鮮明にした公平が 再び不鮮明になってしまう 例えば 暴力は悪である ・・・が 正義の鉄拳と... 続きをみる