ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

記憶と実践:記憶と実践の循環システム


正しいとされることは
誰が決めたのか?


そもそも
正しいことをしなければならないと
誰が決めたのだろう


子供の頃
「大人の言うことを聞きなさい」と言われた


両親や
学校の先生の言うことは正しいものだと言い聞かされた


本当だろうか?


本当であろうが
嘘であろうが
それらが本当であるという事で
学級が運営され
家庭生活が成立していた


そして
この「成立していた」という実績により
正しいことが正しいこととして受容してきた


「成立していた」
「成立できる」という生存競争に勝利した「正しいこと」が
自然淘汰を生き残り
後世に伝えられてゆくのである


このように
記憶と実践が循環しながら
「正しいこと」が
実践の中で「成立」するか否かが試されている


実践の中で鍛えられた「正しいこと」が
承継され今の「正しい」が生存しているということになる


正しいことはだれが決めたのではない


ウイルスのように
人から人へと感染しながら
正しいが息づいているのである


ある日
新しい正しいことが偶然生まれた


「こんなので本当にいいの?」と言われながら実践され
「ほんとだ。いいじゃん」ということになり
正しいことが確認され記憶された


この正しいが大きく育つかどうかは
その後の実践と記憶の循環のなかで
決してゆくことになるのだろう

×

非ログインユーザーとして返信する