ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

持続性:躍動する精神


環境を守るために
自粛しなければならないことがある


この自粛を重ねてゆくと窮屈だから
制限ばかりの自粛から解放されて
自由になりたくなる


自律しようとする魂は
このように自由を欲し
全体としての環境維持を危険にさらすことになる


このように
自律した精神の躍動と
環境保全には両立しがたい面がある


それでも
これを両立させながら努力することが
SDGsの目的ということになる


自然に任せれば
環境破壊はその環境を必要とする生物を減少させ
破壊された環境でも生き延びる新たな生物に繁栄の機会を与えるだけだ


人類が繁栄し続けるには
人類に適した環境を維持する必要がある


人類全体のために
個々人の自律した精神を制約しなければならないようだ


このような取り組みが円滑に進むためには
人類の躍動する自律した精神よりも
決まりごとに従順に従う精神が育った方がよい


神の下に従順に集う群衆のように
独裁者の下に従順に従う群衆のように
環境保全全体主義の下に人類が終結し
環境を維持し続けるのも一つの道ではあるのだろうが
どこか味気なさを感じる


人間は
制約を思考の力で打破して
新しい地平を生み出したい生き物だ


自律した精神をどこまで制約して
今も環境を守らなければならないのだろうか?


そんなことを考える自由も思考にはある


効率的な全体主義により
どのようにして不効率な自律した精神を抑え込めばよいのだろうか?


全体主義に従い一つの道をみんなで歩んでいいのだろうか?
他にもっと良い道があるのではなかろうか?


便利な高度技術は環境保全には危険な代物だ
野生に帰ろう


運の悪いものや弱い者は自然に破れ
病に倒れてしまう野生に返ろう


自由な思考には
夢と罪悪が同居している


そのことを悩み続けるのが
考える葦の宿命なのかもしれない


まあ
考えていられる余裕が未だあるのだろう


目に見える危機を体感し恐怖に怯えるようになったら
考える余裕はなくなる


地球環境は確実に変化し続け
いつかどこかで人類に
否応もない行動変容をもたらすだろう


いつだって
人類は
地球に囲われ
追い込まれながらいきているのだ


思考はそんな周辺に対する反応であり
躍動しようとする精神だ

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