多元論:理論の多元性と現実の唯一性
植物も
懸命に生きている尊い命だ
植物も
食べられるために生まれて来たのではなく
生きるために生きている
つまり
食用される植物も
食べる側の理論に則り食べられているだけで
食べらまいとする理論が無視されているから
現実として食用にされている
ただ
植物の場合もそうであるように
食べられる側も
犠牲を払う余力を持って
生まれてくるところがある
多くの植物は
花を咲かせてたくさんの種をつけるが
この種すべてが芽を出し成長する訳ではなし
運よく芽を出しても
うまく日光や水を得ることができず
成長の途中で枯れてしまうことも多々ある
それに
葉を食べられても
茎や根が残っていれば再び葉を伸ばすこともできる
このように
犠牲を前提として生きているから
食べられても力強く生き残れている
*
理論の間で矛盾があっても
異なる次元でそれぞれ存在していれば問題は生じないが
現実において実践しようとすると
矛盾が問題を引き起こすことになる
理論は異なる次元として存在できるが
現実は
ひとつの次元で展開しなければならないからだ
植物の生き方のように
犠牲を払える理論は現実的だ
犠牲を払えない理論は
いくら美しく優しくとも
現実の中では
他の理論を反駁する宿命を背負った
好戦的な理論ということになるのだろう