ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

多元論:理論の多元性と現実の唯一性


植物も
懸命に生きている尊い命だ


植物も
食べられるために生まれて来たのではなく
生きるために生きている


つまり
食用される植物も
食べる側の理論に則り食べられているだけで
食べらまいとする理論が無視されているから
現実として食用にされている


ただ
植物の場合もそうであるように
食べられる側も
犠牲を払う余力を持って
生まれてくるところがある


多くの植物は
花を咲かせてたくさんの種をつけるが
この種すべてが芽を出し成長する訳ではなし
運よく芽を出しても
うまく日光や水を得ることができず
成長の途中で枯れてしまうことも多々ある


それに
葉を食べられても
茎や根が残っていれば再び葉を伸ばすこともできる


このように
犠牲を前提として生きているから
食べられても力強く生き残れている



理論の間で矛盾があっても
異なる次元でそれぞれ存在していれば問題は生じないが
現実において実践しようとすると
矛盾が問題を引き起こすことになる


理論は異なる次元として存在できるが
現実は
ひとつの次元で展開しなければならないからだ


植物の生き方のように
犠牲を払える理論は現実的だ


犠牲を払えない理論は
いくら美しく優しくとも
現実の中では
他の理論を反駁する宿命を背負った
好戦的な理論ということになるのだろう

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