ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:愛される不自由を繰り返す


カンブリア紀を迎える前の
エディアカラ期


不器用な生き物が
自らの領域を増やしながら成長していた


同心円状の化石は
そんな生き物の痕跡だ


何匹もの不器用な生き物が
同じ石の中に化石となって閉じ込められた


直径1cm足らずの小さな二重円もあれば
直径20㎝を超える大きな二重円も
一つの石の中に納まっている


自らの領域を成長していた傍証だ


成長し
大きくなり
やがて死に絶え
成長してきた個体が
代わりに
その場所を徘徊する


生命は
このことを
飽きることなく
数十億年もの間繰り返してきた


定型的な反応を繰り返す身体を
再生しながら成長し
その肉体的空間を広め
生殖を通じて
同じような個体を再生産し繁殖してきた


定型的な反応を繰り返す領域が
成長と繁殖により増大し
死により縮小する


同じ歌を繰り返す


同じ所作を繰り返す


承継をしながら
伝統が定型的な反応を繰り返す


言葉が引き継がれ
言葉に従う身体が成長し繁殖する


このような定型的な反応群は
愛されている


愛され
その定型的な枠に収まり自由を失っても
それを不自由とは思いもせず
ただ愛し
その定型的反応を繰り返すことが
存在意義となっている


不自由であることを
愛しているのだ


他とは違う
自分という不自由を愛しているのだ


この不自由が
ぶつかり合うと
不自由を愛するがゆえに
自由に和解できないからなかなか始末できない


ウサギにはウサギの不自由があり
オオカミにはオオカミの不自由があり
ウサギは逃げ
オオカミは追い続けなければならない


DNA合成酵素は
DNAを合成し続ける定型反応を愛し
その不自由を満喫している


愛してはいないのかもしれないが
それを実践し続ける


なぜそうしているのか?
その意義は何なのか?


様々な疑問を
愛の中に消し去りながら
日々のルーティンに身をゆだねているのだろう


徒労の中に消し去るのではない


崇高な愛の中に消し去ることで
その定型的反応の不自由さを
再生し繁殖させてゆかなければ
命は紡がれがたくなるのだろう

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