ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:偶然と必然の間を眺める


なぜ土星には輪があり
木星には大きな赤斑があるのだろうか?
この大赤斑は
なぜ北半球ではなく南半球に在るのだろう?


金星と地球の間に
大きな惑星がないのはなぜだろうか?


エベレストのように高い山が
日本に無いのはなぜなのだろうか?


富士山が
もう少し北にできてもよかったのではなかろうか?


様々な潜在的可能性の中で
今が存在している


大きなケヤキがはえている場所に
大きなエノキがはえていてもよかったのに
今は大きなケヤキがはえている


去年タンポポがはえていた場所に
今年はクローバーがはえている


去年と同じように
タンポポがはえてきてもよさそうたっだのに
今年はなぜかクローバーが生い茂っている


10年も前には
タンポポではなく
今年と同じようにクローバーが生い茂っていたのだから
今年は10年前に戻ったということなのかもしれない


何か私にはわからない微妙な違いが
タンポポではなく
クローバーに味方したのだろう


草刈りの時期の微妙なずれが
こうした結果をもたらしたのかもしれない


よく草刈りをする土手には芝のような
刈られてもすぐにはを伸ばす植物が生え
あまり草刈りをしない土手には
ヨモギやブタクサといった
成長は早いが
刈られると次の芽を伸ばしずらい植物が生い茂っている


こうした土手と同じように
私の身体の中でも
筋肉細胞と
脂肪細胞が
身体を占める場所を争ているのかもしれない


どちらの細胞が増え
どちらの細胞が減るのかは
草刈りではなく
私の生活態度で大きく変わるようである


どうなりたいのか?
どうしたいのか?
そのためには
何をしなければならないのか?


木星や土星の在り様は
人間の手でそうもできない力で維持されているのだろうが
私の周りには
私の身体を含め
私の在り様で変わってゆく世界が広がっている


無論
私の手には及ばないことも多々あるけれど
それでも
私の手で変わることを様々な局面で実感できる


そうしたことは
小さなことだ


こんな小さなことに右往左往しながら
生き物たちは命を継いできた


そんな小さなことたちに囲まれて
私も生きている


ゴルフボールを打った


そのボールは
意に反して右に曲がり
木にあたり
左にはねて
フェアウェーに戻ってきた


偶然と必然の間を行き来しながら
私は悲しみ
そして喜ぶ

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