ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:喉と耳の共進化による会話の調和


話すということと
聞くということは
異なる反応である


話すために出す音は喉から出る
聞くための音は耳から入る


だから
話すことは喉
聞くことは耳の技術によるものだ


この異なる二つの技術が
調和して
会話が成立している


この会話の成立の技術的裏付けが
喉と耳にある


人間の喉と
コウモリの耳
あるいは
コウモリの喉と
人間の耳では
会話は成立しない


人間の喉の出す音の音域と
人間の耳が反応する音域が
ほぼ一致しているから
会話が成立し
聞こえない音を話すと
当然に会話は成立しないことになる


この喉と耳の調和は
イソギンチャクとクマノミの様な
共進化の歴史の賜物だろう


そして
こうした共進化が
親和性を高め
共生や共存を促してきた


コウモリの喉と
人間の耳には
このような共進化が働かず
互いに親和性がないので
離れ離れになっているということだ


もしかしたら
使用する音域の棲み分けにより
共存しているのかもしれない


言語圏が混じわらないように
民族が棲み分けをするように
コウモリの耳と
人間の喉は
互いに避け合っているのかもしれない


耳と喉は
互いに淘汰選択を重ねて
今の調和世界を築いて来た


右手や左手も
脳みそと
互いに淘汰選択を重ねながら
今の調和を築いて来た


共通の目的の元
淘汰選択を重ねてきたのだ


コウモリの喉と
人間の耳は
共通の目的を持たず
むしろ
避け合うことで
それぞれの目的を達成しやすくしてきた


こう書き進めながら
「友達を選びなさい」という言葉を思い出した


選ぶということは
選ばれるということがなければ
共進化も
親和性も生まれてこない


それでも
「友達に選ばれなさい」という言葉はあまり聞かない


「友達を選びなさい」という言葉の中に
「友達に選ばれなさい」という言葉が
すでに含有されているのかもしれない


それに
選ばれる努力は
人に言われてすることではなく
自ら考えなければならないことなのだろう

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