ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:独裁心と正義の信号機


私は
私の
私のための秩序を
私の範囲の中で
維持している


私の
私による
私のための独裁だ


そこに他者が現れると
その他者に応じて
私は
私の独裁を解き
その他者という環境に適応しようと思案する


私の独裁は
私の眼前の他者をすべからく支配下に置きたいのであるが
そうはいかない


だから
逆に
支配下に置かれているような心持ちをしながら
他者と向き合うことになる


支配下になってでも
他者に適応しようとする心持が人間に備わっているものだから
人間は社会を営んでいるのだろう


他者に適応しようとする心持がなければ
山の中で
一人静かに
自身の独裁の中に身を置けるのだろうに
そうはできていないらしい


考えれば
支配もまた
他者への適応戦略の一つである


むろん
服従も戦略であり
忌避も
友好も戦略だ


見知らぬ人を警戒するのも
そんな戦略の入り口だろう


こうした戦略の実践に
言葉が使用される


投げかける言葉に応じて返される言葉が
信号機のように色を変え
それぞれの戦略を伝えている


そう
私は信号機であるのだ


言葉を発する信号機として
社会の岐路を演じているのだ


正義に従えば
歩行者として
横断歩道に一歩踏み出せば
横断歩道の手前で車が停止してくれるはずである


そうなれば感謝し
そうならなければ
悪党呼ばわりしながらその車を恨んだりする


私は
正義を伝える信号機なのだ


自信のある正義に目立つ色を彩り
自信のない正義を控えめに発する信号機なのである


私の中の独裁心が
自身を持ち
強い色の正義を発することを望んでいる


誰にも負けない
正義の色を振りかざすのだ


ところが
寂しいことに
目指すということと
実践するということに
大きな差がある


せめて
小さく狭い私の中で
私の正義を
呪文のように
私のためにひとり呟く

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