ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:シュミレーターとしての言葉


「オオカミが来た」
という言葉に反応して
山とは逆の方向に逃げる


この行動は
言葉により誘導されたものであるが
その背景には
「オオカミは山に棲む」
という知識
「オオカミは恐ろしいもので
 襲われないように
 距離をとらなければならない」
という知識がある


このような知識は
「オオカミが来た」という言葉とは
別個に存在し
「オオカミが来た」という言葉が
思い起こさせる知識である


「青い鳥が来た」という言葉は
「オオカミが来た」とは別の知識を思い起こさせる


言葉は特定の知識を誘導し
誘導されて知識に応じた行動を呼び覚ます


イソップ童話「オオカミと少年」があらわすように
言葉は現実ではなくても
現実で起こったのと同じ知識を誘導し
現実で起こったのと同じ行動を呼び覚ます


このような効果から
言葉は
現実のシュミレーターと呼ぶことが出来よう


シュミレーターは
起こりうることを想定できればできるほど
高性能であり
起こりうることを想定しえないものだと
低性能ということになる


言葉が
身近な現実ほどに充実して取り揃えられているのは
こうしたシュミレーターの性質からだろう


専門分野の事象を表現する言葉が
一般の人々の日常会話から遠ざかるのも
こうしたシュミレーターとしての性質からだろう


シュミレーターの価値は
何を模造しているかによるのである


言葉の価値
もっと言えば
知識の価値は
何を模造しているかにより決まるということになる


言葉や知識が
模造の楼閣を形成している


知を愛することは
この楼閣を磨き崇めることなのだろう

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