ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

命は反応の束である


春、暖かくなると桜が咲きます
秋、陽が短くなると菊が咲きます


抽象的に表現すると
環境に応じて生命が反応します


もっと抽象的に表現すると
原因が結果をうみます


極楽鳥の雄の求愛ダンスに
雌が反応します
雌にとり雄は環境です


言葉を発する人と
言葉を聞く人の関係も同じです


環境の刺激に反応しながら命が営まれています
上手に環境に適した反応ができるということが
上手に生きるということです


環境に応じて生き方を変えるのです


晴れた日は気分がよく
雨が降っているとなんだか憂鬱です
そのように反応するように
いつの間にかなっていました


言葉も環境です


心地よい言葉もあれば
聞きたくない言葉もあります
それぞれの言葉にそれぞれの反応があります
何時も同じではありません
誰でも同じではありません
同じ言葉に違った反応が生じます


わからない言葉には
わからないなりの反応しかできません


私の身体は
私の意識にとって環境です


お腹が痛いとそれに反応します
腰が痛いとそれなりに反応します


目に見える私の手先は私の意識ではありません
ただ私の意識どおりに動く便利な環境です


なぜそのように動くのかよくわかりませんが
大切にしたい環境です
だから
わたしも大切にされたいときは
大切にしてもらいたい環境の思いを汲んで動くようにしています


今風に言えば
忖度するということになるのでしょう
だからでしょうか
私の足が私の意識に忖度するように
私は私の足を鍛えたり
大切に洗ったりしているのです


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メモ
生き物は基本的に
環境の中から
生きる糧となるものを見出し
それに反応する能力がないと生きてゆけません


細胞の中の様々な仕組みも
様々な物質への反応の連鎖です


反応ができることが大事なのです


何が何に反応するのか
それが遺伝子情報として蓄積されています


致死遺伝子というのがあります
うまく反応できない仕組みを作ってしまう遺伝子です
このようなことがないように
意識に登らない多々様々な反応が揃いに揃って初めて命が営まれます
生きているということ自体が大変に不思議な現象です
だから
生きているだけでは満足しないのは贅沢な話です
それでも
生きているという奇跡だけでは満足しないからこそ
命はさらに輝いてゆくのです


ありがとうございます。

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