ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

雑草の自由と野菜の自由


畑に
整然と野菜の苗が並び
すくすくと育てられている


雑草は
その傍らで
雑然と生えている
人の手を借りず
自らの力と運で
そこに根を張り生きている


雑草には雑草の自由があり
野菜には野菜の自由がある
そして
それぞれに
その自由が制約されている


野菜は有用性を追求する人間の支配下にあり
雑草は弱肉強食の自然の支配下にある


そのなかで
懸命に自らの自由を表現している


選ばれるために表現しているのではない
その自由を表現しするために生まれてきたのだ


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メモ


野菜の自由は
人間に守護された自由だ
人間がいなければ
大きく花開くことのない
整然とした自由だ


雑草の自由は
競争の中で培われた
何時負けるとも限らない
群雄割拠のなかで
せめぎ合いする自由だ


いずれの自由も
純粋に
無条件に
ただ存在している自由ではなさそうだ


制約された自由、、、
負けてしまった自由
選ばれなかった自由
そんな消滅した自由をしり目に
今存在している自由がある


私にも自由がある


はたして
どんな自由を持っているのだろう
どんな自由を持たせてもらっているのだろう


私は雑草?
それとも
整然と揃えられた野菜だろうか?


私を支配している人間があり自然がある


支配に抗することも
支配に従うことも
私が選ぶ


選ぶのは私だ
他でもない私だ


この肉体をどのように使うのか?
私が選ぶのだ
この心をどのように使うのか?
私が選ぶのだ
・・・限度の中で


どのような限度?


限度を広げて考える

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