ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

悩むという生得的戦略


子供のころ
親に怒られた時
「困った」と思いつつ
頭を巡らせていたことは
「なんと言えば許してもらえるだろう?」
ということだった


自分ではうまく答えたつもりでも
決まって
親は
「正直に言いなさい」
とさらに攻めてくる


そこでまた悩む
「正直な気持ちを話すべきか
 許してもらえそうなことを話すべきか」


往々にして
正直な気持ちと
許されるために言うべきことが違っているから
悩む


そのどちらにも
正当な理由と
都合よさがある


そのことを知らしめるために
親は子を叱るのだろうか?
それとも
子を従わせるために叱るのだろうか?


親子のような始原的関係においても
従わせようとするものと
従わまいとするものが対峙しながら
人間関係が調整されてゆく


人間は
このような調整関係を継続しながら
生きてゆくように設計されているから
いつまでも悩みつづけてゆくのだろう


悩みが無くなると
何所か何所かに悩みの種を探し出すのだから
人間奥深い

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