ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:凝縮された刺激と反応


身体の中には
無数の刺激と反応が凝縮されている


刺激と反応が濃くなればなるほど
生命活動は活発で
刺激と反応が薄くなればなるほど
生命活動は低調ということになる


知的活動も
刺激と反応が濃いほど活発で
薄くなれば低調になる


論争も
戦争も同じだ


一言云うと
3倍返ってくるから
喧嘩も盛り上がる


愛情も
好意が好意と返ってくれくれば来るほどに
深まってゆく


こうして
様々な局在が生成し
様々な局面を演出してくれる


刺激を与えても
思うような反応が返ってこないと
生まれてくるべきものが生まれてこない


今までのように
思うような反応が返ってこないと
生まれてきたものが死んでゆく


喧嘩は収まり
愛情は冷めてゆく


刺激と反応の中を生きている


新しい刺激を求めるとき
新しく反応することを欲している


刺激と反応が
結びつける関係が
局在を持続させている


言葉も
刺激と反応の中で結べ例示されている

局在と遷移:痛みの塊を維持するということ


同じ秩序が
何処までも広がっているわけではない


ある秩序と別の秩序の間には
境界があり
それぞれの秩序は
それぞれの局在を為している


境界は
明確な線を描くこともあれば
ぼんやりとした線を描くこともある
入り交じり
重なり合った境界が広々と広がっていることもある


時間的なものであることも
空間的なものであることもあり
両者が織りなしていることもある


内視鏡手術で
直腸にできた腫瘍を切除してもらった


鎮痛剤で
幾分痛みを和らげてもらったが
電気メスの当たり所に激しい痛みが走った


その痛みが次第に蓄積するのか
骨盤の中に
大きな痛みの塊ができた


それでもなお
ノミでたたくかのように
電気メスがその塊を刺激し続けた


塊の中で
刺激がしみ込み
塊をより頑丈により大きくしているようだ


痛い処は痛く
痛くない処は痛くない


私の骨盤の中で
痛みの境界が現れた


痛みの塊は
電気メスの刺激が少なくなれば
縮小し
刺激が多くなると
再び拡張した


電気メスに対する私の反応が
痛みの塊を創っているらしい


私の中の痛みの局在


手術が無事終わり
その痛みはもうない


記憶だけになった


命が局在するということは
そういうことなのだろう


反応し続け
やがて記憶だけが残される


命は
自ら刺激をし
自らが反応し
自らの局在を存続させ続けている


在ろうとしなければならない
そして反応し続けなければならない


道端の草も
在ろうとし
痛みの塊のように
そこにあるのだろう

局在と遷移:腹八分目それとも五分目


言葉が人間を支配すればするほどに
言葉は人間にとって便利なものになる


同じように
神様が人間を支配すればするほどに
神様は人間にとって便利なものになる


そしてまた
お金が人間を支配すればするほどに
お金は人間にとって便利なものになる


思うように動かせる能動性と
思うように動かされる受動性が
互いに高め合いながら
言葉や神様やお金が
人間と共進化してきた


このように
支配と従順の共進化の中で
生命は調和が熟成させてきた


細胞同士も
支配し支配されながら
多細胞生物を維持してきた


家族の様な濃密の関係ほど
支配し支配される関係も高度で
支配すること
支配されることへの順応が求められる


求めすぎてはならない


腹八分ではないけれど
五分目でよいじゃないか


神様も
五分目くらいがちょうどいい


だから
言葉にも嘘が混じっているのだろう


お金の価値も
倍半分に感じることはよくあることだ


全てがお金で換算できてしまえば
どうにもつまらない


お金のことを算段していると
ついつい神様はいなくなる


神様を大事にしていると
お金が露と消えてゆく