ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

局在と遷移:正義への傾倒と遊離


ルネッサンス


人間解放は
形骸化した正義からの解放だ


正義により維持されている実存を守るため
正義の上に正義を重ね
次から次へと
人間に正義が降り積もる


雪の様の次から次へと降り積もり
その重さに耐えられなくなった人間が
ルネッサンスと叫びながら
その重しを振り払う


そうして
人間は自由を手にするが
その自由の奔放さに困り果て
再び何かの正義に回帰してゆく


正義への傾倒と
正義からの遊離


人間は
食べ物のように
正義を食らい消化し
栄養にならない正義を排泄する


こうした活動の中で
美味しい量が引き継がれてゆくように
都合の良い役に立つ正義が
姿を変えながら引き継がれてゆく


太郎の屋根に降り積む雪を
太郎の屋根は
どれほどに支えられるというのだろう


太郎が雪に埋もれたとしたら
それは
支えきれなかった太郎の屋根に罪があろうか?
それとも
降り積もった雪の重みに罪があろうか?


ルネッサンス


人間の集団が遷移している


その集団から誰かを振り落としながら
人間の集団が遷移を繰り返す


人為淘汰


権威への適応


ルネッサンス


人間は解放されながら
また人間に回帰する


地域

宗教
仲間
家族


人間の集団が遷移を繰り返す

局在と遷移:美味しいという評判


あそこの店のお寿司は美味しい


こんな評判を何人かから聞き
それがきっかけで
初めてこの店を訪れる人は
その店のお寿司を食べたことがないが
すでに美味しいことを知っている


この
お寿司を食べる前の「美味しい」は
言ってみれば
空の「美味しい」である


そして
お寿司を食べると
この空の「美味しい」に
味覚が入り込み
記憶となり
空の「美味しい」に中身が入り込むことになる


「ああ、評判通りのおいしさだ」


まるで
その味わいを知っていたかのように
「評判通り」と感じたりするのだから
評判というものは
知らぬ味を
さも知っていたようにしてしまうから
不思議この上ない


考えてみれば
知るということは
そいうことなのかもしれない


知っているつもりになることが知ることであり
全てを把握する必要はない


知ったふりをしていれば
知っているようなものなのだ


だからなのだろう
後世になって否定される学説も
否定されるまでの間
大手を振って真実であり続ける


正義も同じなのだろう


学説も
正義も
それを良しとする局在の中で
真実であり続け
その真実性により
局在が保たれるのだ


美味しい店は
味覚に忠実である


学説は観察される事実に忠実であり
正義はその後の顛末に忠実である


この忠実性が希薄となれば
店の評判は落ち
学説は欺瞞に頼り
正義は罰に頼ることなしには
維持できないものとなる


私も
様々な何かに忠実になりながら
私の局在を維持している


私にはつかみがたい
知られている私をどこかで意識しながら
欺瞞や
強権へ頼りたい気持ちを抑えながら
知られている私への忠誠心からのなのだろう
本当の私を裏切ったりしながら
私を維持している


あるべき私
それを
知っているのか
知らずにいるのか
知ったふりをしているのか


知っているということを確実にすることは
まことに困難でありがた迷惑な命題だ


時に
まずいと感じた寿司を
「美味しい」と言わなければならぬのだろう

局在と遷移:ないものたちが規律を描く


痛みを感じるということ


痛みは
一時のことで
痛んでいる時間が過ぎれば
痛みは無くなる


しかし
その痛みが記憶となり
無いはずの痛みが
私を苦しめ
私を規制する


過ぎ去った痛みに
私は苦しみ
畏れる


今はないものに
私の精神は苦しみ
畏れ逃げ惑う


そうした記憶が
私を拘束し
私は自由を失う


この不自由の中で
私は
私の規律を守る


痛みを感じるということ
そして
幸せを感じるということ


幸せも
また
訪れては消えてゆく


そんな儚い幸せを求めて
私は
私を規律する


このような規律の中で
私は私という局在を繰り返す


私という精神は
私の記憶がもたらす規律である


ないものたちがもたらす束縛である


生き物は
記憶がもたらす規律からできている


すでにないものから
逃げ惑い
ないものを
追い求める規律である