ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

情報化された過去が未来を育む


ウサギが勝手に根っこにつまずき
ころりと転び
転んだウサギを捕まえた


ころり転げた木の根っこだ


待ちぼうけの始まりは
幸運とともに突然やってくる


幸運はうれしいもではあるが
大きな落とし穴にもなる


ギャンブルには
ビギナーズラックがよくある


これは次のような結果論だろう


ビギナーズラックに幸運にも恵まれた人々が
その後もギャンブルをし続けているのに対し
ビギナーズラックに恵まれなかった方々は
その後ギャンブルに手を染めない
結果として
ギャンブルをしている人の多くは
ビギナーズラックを体験していることになる


ギャンブルが
現代の待ちぼうけになっていなければよいのですが
ギャンブラー全員が勝ち続けるということは
毎日、ウサギが木の根っこにつまずくようなものである


生命の進化にも待ちぼうけのようなことがある
ただ
生命においては理性ではなく
自然が過去を選択する


理性による選択は
時に間違う


間違うからくりがあるのだから仕方がない


・・・
運も実力のうちである
運がつづけば成功の実践を持続できるで始末が悪い
ただリスクをはらんでいるということで
結果的には成功の実践が持続する
勘違いが始まるのだ


万事が実力どおりに進行するとは限らない
だから人は運を大切にする
悪いことに人には
幸運を覚え不運を忘れる性がある
ゆえに幸運の過去が蓄積する


幸運の蓄積は幸運を帰納する
この帰納法により
リスクは完全に理性的に少ないものと管理されているのだ
・・・


理性にも危険がつきまとう


過去の事象が不合理であるゆえに
運の存在が持続するからである


なにも運だけの問題ではない
理性は懸命に
平穏な未来を夢見る理論的根拠を模索するのだ

開放システムは依存する外部に制約される


無いと困るものがある
たくさんある
衣食住は代表格だ


仙人も霞を食べる


翌日その霞をそのまま出すのだろうか?


さておき
必要なものを取り込み
不要なものを捨てる
ということがある


入るものと出るものがある
そこで
何を入れ
何を出すのか
それが問題でよく悩むことになる


欲しいものばかりを取り込み
要らないものばかりを捨ててればいいが
そうもいかない悩みである


企業の使命は
利益をあげることではなく
継続的な利益をあげることである


経済学の教科書がかように諭している


この加えられた「継続的」という言葉が
悩みの種であり
人間の品格の源だ


この「継続的」という言葉が
何でもありで利益をあげることを
間接的に禁止しているからだ


企業も生命も外部とのつながりのなかで継続を繰り返す


このような開放的システムは
外部に依存する範囲で制約されている


宴会の後
あるを尽くせず
遠慮の塊がお皿の隅に残存している
もったいない


このもったいない無駄が
品格のコストだ


明日も会うあの人の持つ私の印象は
いかなるものになるのだろう


ああ、面倒だ
しかし
品格のコストは面倒であればこそなのだ


未来は少し恐ろしいほうが背筋が伸びる
恐ろしすぎては心が折れる

依存しているものに敬服する契機としての喪失


ものごころが付き始めたころの記憶だと思う


昼寝から起きたら
一緒に寝ているはずの母親がいなかった


きっと
早く起きて別の部屋にいるのだろうと
部屋を次から次へ覗いた


どの部屋にも
母親の姿はない


部屋を覗くたびに
心が疼く
期待が裏切られ
傷がつく


傷口もなく血は出ない
そのかわり
目から涙があふれだし
気が付くと
大声で泣いていた


何時間も泣いていた気がする


・・・


何のことはない
子供が寝ているすきに
買い物に行くことはよくあることで
今にして思えば
何のことはない


当時は
一大事であった


子供なりに
毎日を繰り返していた
そのすべてが
母親に依存していた


依存していたものを
取り上げられた命は
悲愴だ


豊かな森に依存している野生動物は
その森を取り上げられると
心の中で大声で泣き叫ぶ


整った住環境を災害で失った人々もまた
心の中で大声で泣き叫ぶ


前提が覆ると結論が覆る


依存するものに対しては
敬服しなければならない