ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

厳しい目と優しい目


眼光鋭く
焼き上がった陶器を見つめ
「だめだ」と叫びながら
焼きあがったばかりの陶器を
粉々に割ってしまう


妥協を許さない芸術家は
ずいぶんと
もったいないことをする


せっかくできたのだから
鑑賞に耐えなくても
使えるものなら
大切に使えばいいと思うのだけれど
芸術というものはそいうものではないらしい


この厳しい目をくぐりぬけて
はじめて
芸術品は芸術品として取引されてゆく


この厳しい目をくぐりぬけれなかった出来損ないは
壊され
「次」に「予定されていた運命」には進めないのだ


逆に言えば
厳しい目が見開かれるのは
「予定されていた運命」があるからだ


芸術品が予定された陶器は
厳しい目にさらされながら
「予定された運命」を生き抜く傍らで
日用品として予定された陶器は
すこし優しい目にさらされながら
「予定された運命」と生き抜いている


厳しい自然環境に生まれる生き物もいれば
豊かな自然環境に生まれる生き物もいる


厳しい時代に生まれる生き物もいれば
豊かな時代に生まれる生き物もいる


それぞれの環境や時代に応じて生き抜く過程で
「予定された運命」は記録として鍛えられてゆく


厳しく鍛えられることもあれば
優しく鍛えれることもあるのだろう
そのそれぞれが記録を鍛えてゆく


芸術品としての「予定された運命」の記録は
まずもって陶芸家の頭の中にある


この芸術家の持つ「予定された運命」の良し悪しが
陶器たちの流通過程でさらに確認されながら
評価されてゆく


芸術品になるべく陶器たちは
一難去ってまた一難と
淘汰選択の網目をかいくぐり
そのなかを生き抜いてゆく


その力がある陶器が芸術品となり
その芸術品が
様々な形で記録され
「予定された運命」をさらに鍛え続けてゆく


私も生きながら
どこかにある
「予定された運命」を鍛え続けているのだろう


すこし
ほんの微かに少しづつ
「予定された運命」を鍛え続けているのだろう


そのためには
「厳しい目」も必要なのだけれど
やはり
平々凡々の日用品の悲しみなのだろう
「優しい目」がついつい恋しくなる

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