ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

猫の自由 人間の自由


あれもしなければ
でも、これがまだ終わっていない
どうしよう...


こんなふうに心の中が騒いでいる脇で
猫が寝ころがり、あくびをしている


「お前は自由でいいよな。ああ、猫になりたい」



猫は自由にしているけれど
猫は
空を飛べないし
水の中も泳げない
そんな不自由の中を暮らしている


人間は
飛行機で空を飛べるようになり
潜水艦で深海に潜れるようにもなった


人間は
猫よりもとても自由にいろいろできる動物だ


でも
私は「今」、あれをしなければならず
これをしなければならない


人間は猫よりとても自由なのだけれど
私は随分と不自由だ



自由と一口に言っても
色々な自由があるらしい


能力としての自由度
意志としての自由度
実践としての自由度ということで考えてみる


それぞれの自由度は様々な要因で制限されている


生前からの生得的制限もあり
成長過程における後天的制限もある
それに
他者からの命令や
お天気具合といった
「今」の状況による制限もある


制限があっても
それに気づかなかったり
諦めれば
不自由とは感じなくなる
これは
意志の自由度が小さくなり
実践の自由度の中に納まってしまっているからなのだろう


あれをしたいのに
これができないという
意志と実践の乖離がなくなるから
不自由を感じずに済むのだ


思い返せば
若いころの方が
いろいろできるような気がしていたし
それができない不自由もたくさん感じていた


随分と
諦めたことがたくさん増えたのだろう
これも
成長過程における自由度の後天的制限の為せる業で
おかげ様で
少し猫に近づいてきたようだ


でも
まだまだ猫のように自由になれない捨て切れなさが
心のどこかに渦巻いているらしい


不自由だけれど
それはそれで諦めると
自由への道が開けるからありがたい

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