ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

同調圧力:一体化への道


美味しそうなものがあると唾が出る


素敵な人がいると二度見してしまう


インスリンを注射すると血糖値が下がる


刺激があり
それに対する反応がある


この刺激ー反応系が成立すると
一体として機能してゆく関係となる


この一体化が成立する途上では
刺激に対する反応はまちまちで
偶然とみられるようなものかもしれない


しかし
一体化が成立すれば
この偶然のような関係が必然化して
刺激に対して特定な反応が首尾よく連鎖するようになる


身体の一体感は
このような刺激ー反応系が
しっかりと成立しているから生まれるものだ


家族の一体感も
身体ほどではないにしても
刺激ー反応系がしっかり成立しているからだ


烏合の衆にはない刺激ー反応系が家族にはあるのだ


コンサート会場や競技会場の一体感も
刺激ー反応系が
一定程度で成立しているからだろう


言葉はこのような一体感を醸し出す道具だ


会話ができると
一体感を感じられるが
ふとした大事な言葉がひとつ通じないだけで
一体感は消失してしまうこともある


今まで培ってきた言葉の世界が
同じ系譜に属していることにより
一体感が生まれてきているけれど
言葉が通じないということは
同じ系譜に属していない事が判明してしまうからなのだろう


同じ花を見て「美しい」と語り合えるのは
同じ感覚を培ってきた「人間という系譜」に属しているからできる業でもあるが
同じ花を見ても「美しい」と語り合えなくなることもあるのだから
「人間という系譜」という大きな枠組みで一致しているだけでなく
もっと小さな人間関係にまつわる枠組みの一致も大事な要素となっている


同じものを見ても
同じ状況に陥っても
誰もが同じ反応をするとは限らない


そこに人間関係の妙がある


同じ反応をするとは限らないところで
同じ反応が起こるところに一体感が生まれる


同じ趣味を持つ者が
知識を確かめ合い
一体感を醸成している光景は
その趣味を持たぬ者には奇妙に映るが
理解はできる


ワニの怖さや醜さを考えると
ワニがなぜワニに恋をするのか
人間には奇妙に感じることもあるけれど
理解はできる


同じ刺激ー反応系の系譜に属するということは
その系譜で一体感を形成し
ひとつの世界を創造することになる


この系譜から離れていると
その創造された世界には一体感も親近感も感じないことになる


世界は
刺激ー反応の系譜の創造により
常に多様化する潜在を有している


いつでも
泡沫のような流行り言葉がうまれるなかで
確固たる地位を築く言葉が生まれてくる


泡沫のような人間関係がうまれるなかで
確固たる人間関係が熟成してくるということだ

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