真偽判断:三世界と真偽判断
真偽判断は
判定される対象と
基準との比較において為されている
例えば
1mの物差しの真偽は
メートル原器との比較において為され
法律違反の有無判断は
判定される行為と
法律との比較において為される
このように
真偽判断には
対象と基準が必要とされる
だから
真偽判断が行われる場では
少なくとも
対象世界と
基準世界という二つの世界が共存することになる
共存する中で
比較され異同が判断されるのだ
しばしば比較される世界を考えてみると
大きく3つに分類できる
一つは
物質として知覚される世界である
二つ目は
自分の意識の世界である
三つ目は
多数の人で共有された世界である
物質世界
自我世界
共有世界
この三つ巴の世界比較のなかで
それぞれの世界の真偽が判断されている
独我論的に
自我世界の中で比較がなされていると考えると
全てが自我世界で起こる出来事ということにはなるが
それでも
自我世界の中で
物質世界
自我世界
共有世界を区別している限りにおいて
世界比較がなされていると考えられよう
法律界では
共有世界たる法律を基準とし
自我世界で自己を制御し
物質世界に起こる他者の違法行為を非難する
自然科学においては
物質世界を基準として
共有世界である原理や法則の正誤が試されている
論理学の分野では
共有世界と共有世界を比較しているので
物質世界の出る幕はなくなっている
「正しい」
「間違っている」という言葉は
どのような世界間の比較においても
共通して使われる言葉であり
基準の置き方が
正反対である場合にも
同じ言葉として使われるので
議論がかみ合わないことになる
キチンとした議論をする場合には
前提とすべき基準と対照を明確にすべきであるのだが
その明確なことは表示されないままに
議論が進む
そうしないと
結論が出やすくなって
議論の深みにはまれないから
面白味が無くなるのかもしれない
基準を明確にしようとすれば
その時点で議論する場が失われてしまうことになってしまうかもしれない
いずれにしても
あやふやに
基準と対照が入れ替わりながら
議論も
物語も進行するのが
人間的な悟性ということになるのでしょう