ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

対応的同一:演繹が成立する同一性という怪


日の丸は赤い
赤信号も赤い
よって
日の丸は赤信号だ、、、とはなない


日の丸も
赤信号も
全体を象徴する言葉であって
赤いだけの存在ではないからだ


同じように
同じ名前であれば
同じ人格や容姿である、、、なんてことにはならない


演繹に従えば
A=B
C=Bであれば
A=Cなのであるが
AやBやCが多要素からなる複合体である場合には
文字通りの運用はできない、ということになる


日の丸は赤い
赤信号も赤い
よって
日の丸は赤信号だ


この演繹も
赤い色という要素においては
成立している


共通する要素を抽出し
それにだけに注目し
他の要素を無視することにより
演繹は成立する


氷は水である
水蒸気は水である
よって
氷は水蒸気だ


朝陽は太陽である
夕日は太陽である
よって
朝陽は夕日である


私は人間である
あなたは人間である
よって
私はあなたである


氷は水蒸気であり
朝陽が夕日であり
私があなたであることが成立する地平において
水が語られ
太陽が語られ
人間が語られる


そこで語られ
成立した普遍性は
その共通項の地平での出来事であり
私は私へと
あなたはあなたへと統合される
ほんの一部であり
私やあなたの普遍ではない


そんな普遍で私が縛られると
自由になりたいと願うようにもなったりする


私は
普遍的人間として描かれている人間でもあるけれど
それ以外でもできています
ごく普通の普遍的人間ではないのです


それでも
演繹の綱で
私を縛りあうのは
理不尽ではあるものの
都合の良い現実なのだろう
演繹の名のものとで
人間なんだから
男なんだから
女なんだから
社員なんだから
契約してるのだから
などと
演繹が描く普遍で
互いに縛り合い
社会秩序が機能している



一般名詞であらわされる牛は
数が多すぎて特定できない


特定しようと牛に個体番号を付けたりするけれど
その牛の個体を形成する物質は
絶えず入れ替わっているし
成長したり
動いたりしていて
いつの時点のその牛なのかを
個体番号だけでは特定しきれない


言葉は固定的で閉鎖的で
物質は流動的で開放的だ


この両者を結びつける為には
いい加減なところがないとやってゆけない


無理やり同一を作り出すより仕方がない


対応的同一は
そんな言語のあいまいな性質に基づく機能の一つであり
演繹成立のための有用な半盲だ

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