ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

循環と遷移:定言命法と仮言命法のホロン


栄養が不足してくると
お腹がすく


このお腹がすくという感覚に踊らされ
食事を得ようと奮闘することになる


生きるためには
栄養を取らなければならない


この義務の履行は
定言命法なのか?
それとも
仮言命法なのか?


カントは
条件なしの絶対的な命令を
定言命法と表し
条件に応じで行動を変えるよう指示する
定言命法と区別した


人間の倫理を考えるうえでも概念であるので
倫理より原始的で
人間以外の動物でも行われている本能的な行動に
この考えを当てはめることは
下品なことなのかもしれないが
定言命法は
より普遍的で内部的な事情を反映した存在を
定言命法は
外部との関係において適応的な存在を
ある意味象徴的に表しているように思え
空腹にまつわる
定言命法と
仮言命法の在り様を考えてみると
面白そうに思えた


空腹は
栄養を取れという本能の命令だ


栄養を取らなければ
栄養失調で死んでしまうので
絶対に服従すべき命令のように思われるが
いつでも空腹でいるわけではないので
栄養を取るのは
この空腹という仮言が現れた時に行えばよい仮言命法なのだろう


でも
栄養を取ることを絶対服従すべき命題のように感じている


これは
「生きろ」という定言命法がその背景にあるからだろう


栄養を取るということは
生きるという定言命法から派生する
仮言命法であり
外部との関係において
適応的に行動すべき従属的命題ということだ


要は
生命という世界内部からの
「生きろ」という要請と
外部の状況の間で
葛藤しながら実践するのが
「栄養を取れ」という仮言命法が揺れ動いているということだ


この仮言命法により摂取された栄養は
消化器官から吸収され
体内で
様々な生命活動に利用されているそうだ


心臓の鼓動もそうなら
胃酸の分泌
血管細胞の維持も
栄養の摂取の恩恵の下で実践されている現象だ


しかしながら
「食事をしなければならない」と
躍起になっている意識の目的意識には
このような個々の生命現象に見向きもしていない


ただ漠然と
「おいしいものを」と思考している


思考ではなく
嗜好が
意識の役割ということなのだろう


食事をとった後のことは
身体にお任せで
意識は
ここの生命活動には興味がない


そんな意識などどうでもよいといわんばかりに
身体の細胞たちは
それぞれ連絡を取り合いながら
生命の恒常性を維持するための実践を行い
生命の循環を維持している


細胞たちは
それぞれの仮言命法に従い
細胞社会を維持している


身体全体の中で
自らの役割を
様々な仮言命法の組み合わせの中で
実践している


思考の源がこの活動にあるのだろう


全体の中で
個々が
適応的になるよう
さまざまな仮言命法を駆使しているのだ


ある仮言命法と
別の仮言命法が競合する時
それをどのように扱うのか?
個々の細胞は試行錯誤を繰り返しながら
より複雑な仮言命法のシステムを成立させ
それらの
定型的な実践の中で
恒常性を維持する循環に育て上げてきた


そして
この流転し続ける全体の循環をい維持することを
定言命法として熟成させているのだ


例えば
「生きろ」という
循環全体の維持が
定言命法として熟成しているということだ


結果として
定言命法としての循環世界の内部において
外部との兼ね合いで
様々な仮言命法が
システマチックに実践を繰り返している


私は
身体として定言命法的であり
社会の一員として仮言命法的に存在しているホロンである

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