ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

現象と構造:指示代名詞が結ぶ間主観性


「これはペンです」


この単純な構文により
「これ」が「ぺン」とされる


この「これ」が
思考の外の存在を指示しているから
思考は
思考の外から存在を取り込むことが出来る


「これはペンです」により
取り込まれた「これ」は
思考の中で「ペン」として存在してゆくことになる


また
「あれはペンシルです」を加えることにより
思考の中で
「ペン」と「ペンシル」の違いを
熟成させることが出来る


ただこの過程で比較される
「ペン」と「ペンシル」の違いは
「あれ」や「これ」を知覚した記憶であり
「あれ」や「これ」そのものではない


「あれ」や「これ」そのものではないから
「あれ」や「これ」が消失しても
「ペン」や「ペンシル」は記憶として存在できる


捕食者により狙われ
餌になりそうになった状況や
捕食者として
餌を取得できた時の状況も
状況そのものは消失しても
それを記憶できれば
記憶として存在することになる


このような記憶があるから
草食動物は
肉食動物を監視し逃げるタイミングをよく心得
肉食動物は
草食動物のすきを狙い狩りをすることを心得ているのだろう


This is it !


こんな言葉は浮かばないにしても
今の状況と
過去の記憶が一致すると
特定の行動が惹起される


この状況はあの時と同じだ


この状況により
特定の行動がおこり
それが
群れに行き渡ると
この状況が
群れに共有され
記憶として供用されることになる


こうしたこと
ああしたこと
これやあれ


様々な指示代名詞が
経験の記憶を共有させ
間主観性を伝播し熟成させてゆく


ものの名前や
ことの名前も
経験の記憶と共に
外部から取り込み
思考は広く深く熟成してゆく


体験と記憶と言葉が
be動詞により
同じ存在として関連付けられながら 
思考が広く深く熟成してゆく


心のなかで
「あれ」を待ち望むことがある


その「あれ」は
思考の中にたくさんたくさんあふれかえるのだけれど
決して思考の中にない
だから
思考の外に「あれ」を切望することになる


だから
思考は
思考の外を
小さな窓から眺めつづける


あれは何だろう?
これは何だろう?


この状況な何で
あの状況は何なのだろう?

×

非ログインユーザーとして返信する